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生徒は授業中、何故寝るのか?

「高い授業料を無駄にさせないためにも、居眠りしている生徒がいたらビシッと注意して起こさないと駄目だ。部活帰りで疲れている生徒もいるだろう。でも、それでも心を鬼にして注意しないと駄目だ。」

塾講師として現場に出る少し前、全体研修で教務課の理系主任から言われた言葉だ。確か、「優しい先生は好かれるけれど、舐められるようではいけない」とかそんな話の流れだった気がする。


その言葉を聞いた私は、その後の全体研修中、ずっとモヤモヤしていた。何かが引っかかっているのだけれど、それが何かはわからない。

モヤモヤの正体がわかったのは、全体研修後、教科ごとの研修に移ってからだった。

***

当時、私は国語科に配属されていた。国語科の希望なんて一切出していないのに、何故か国語科だった。

国語科の主任かつ文系全体の主任でもあったT先生曰く「国語は教えるのが難しいんだ。お前ならできると思った。」とのこと。

…うまく乗せられた。国語科を希望した人が圧倒的に少なかったことを私は後に知ることになる。

まぁ、そんな形でやや不本意に始まった私の講師人生だったが、私はT先生の授業が好きだった。

いろいろな先生の授業を見学させてもらっていたけれど、T先生の授業が1番好きだった。とてもわかりやすくて、面白かったし、そして、文句無く生徒たちからも好かれていた。うまく言えないけれど、T先生の授業はいつも活気があった。

だから、「T先生に教科指導してもらえるなら国語科も悪くないな」というそんな気持ちだった。

***

話を全体研修後の教科研修に戻そう。

雑談、のようなタイミングで、T先生から「さっきの研修での話、どう思った?」と声をかけられた。

他の人がどう答えたかは覚えてないけれど、私は「私も厳しく接するのが苦手なので、意識したいと思いました。」とかなんとか優等生っぽい回答をした気がする。

それに対するT先生のコメントはこうだった。

「いやぁ、俺はさぁ、生徒が授業中寝てても怒れないんだよね。俺の授業つまんないんだな、眠たい授業ですまん、って思っちゃうんだよな」

それは、私たちに何かを伝えたかったというのではなく、どちらかと言うと自嘲のように聞こえた。けれど、それを聞いて、私は自分のモヤモヤの正体に気づけたのである。

『あぁ、そうだよ。そうじゃん。生徒を注意するよりも前に、大切なことがあるじゃん。』

もちろん、注意することは必要だ。「怒る」ではなく「注意する」。だけどその前に、「先生」と呼ばれる立場の人間が意識しないといけないこともある。

T先生は自嘲気味に言っていたけれど、私はT先生の授業で寝ている生徒を見たことは一度もない。夜遅くの授業も、土日の昼下がりの授業も、部活帰りの生徒がジャージでそのまま参加するような授業も、たくさん見学させてもらったけれど、一度も、ない。

***

それから数週間後の夏休み。夏期講習のタイミングで、私は1つのクラスの授業を任されることになった。
中学2年生の、とあるクラス。それは本来ならT先生が担当していた筈のクラスだった。

「進学クラスってわけでもないし、気のいい奴らばかりだから、緊張せずやればいいよ」

そんなことを言われたけれど、そのプレッシャーたるや。
私自身が「T先生が担当でラッキーだったな」と思っていたくらいなので、プレッシャーで吐きそうだった。
忙しいT先生を捕まえて、何度も何度も模擬授業を見てもらったけれど、不安は無くならない。

…よりにもよって、夏期講習のカリキュラムは「文法」…国文法を楽しく教えるって、一体どうしたらいいの??

けれど、模擬授業してもらったT先生の授業は文句無く面白かったのだ。

「自分の授業スタイルが出来るまでは、俺の授業丸パクリでいいんだよ。」

そんなことを言われたけれど、どんなに再現しようと思ってもうまくできない。

どんなに同じ導入をしても、同じ例え話をしたとしても、同じ授業にはならない。当たり前のことだけれど。

かと言って、自分の授業スタイルなんて、そんなの全然見つからない。

結局、T先生の下位互換にしかならなくて、T先生にどんなに大丈夫だと言われても、不安は消えなかった。

***

そんな中挑んだ授業初日。

「お疲れー。…って何か落ち込んでないか?」

授業が終わり、生徒が帰った後、T先生が声をかけてくれた。

「…駄目でした…。キチンと教えることはできたと思うんですけど、つまらなそうな顔させちゃいました…。」

気持ち的には報告というか、謝罪である。寧ろ懺悔。
その時私の中には、生徒たちに申し訳ないという気持ちの他に、T先生を失望させてしまったのではないかという、焦りのようなものもあった。

恐々とT先生の言葉を待つ。

「あー、別にいいんじゃないか?…ベテランの先生でも、教えることに精一杯っていうか…変な言い方だけど自分の授業に酔っちゃって、生徒の顔が見えてない先生いっぱいいるんだよね。俺は、湊が生徒の様子に気づけたのは、凄いことだと思う。誰にでも出来ることではないから、その感覚は忘れない方がいい。」

…その場で泣かなかった自分を褒めてあげたい。

泣かなかったと思う。たぶん。

この日を境に、私は親鳥を追いかける雛のように、ピヨピヨとT先生の後を追いかけるようになる。盗めるものは何でも盗み、吸収できるはものは、何でも吸収してやる。そんな気分だった。

まぁ、それまでも十分そうだったかもしれないけれど。

***

結局、私はそこを1年で辞めてしまうのだけれど、T先生に出会えたことは、今でも私の宝物だ。

その後何年か講師を続ける中で、上書きされたこともある。

例えば、授業中、浮かない顔の生徒がいたとしても、それはイコール授業内容に魅力がないというわけではないということ。

それは、純粋に体調面の問題ということもあるし、生徒たちが抱えている悩みによるものだったりもする。

もちろん、そんな悩みを一時忘れられるくらい魅力的な授業のできるT先生は素晴らしいけれど。それは誰もが出来ることではないし、誰もが出来る必要はないと感じている。

きちんと1人1人に目を配り、声をかけるべきか、そっと見守るべきか判断する。そういったことができる先生だって必要だ。

そこに優劣はない。

いつもビシッと注意してくれている先生は、憎まれ役を買って出てくれている、ということもわかるようになった。

あと、なんか偉そうなことを書いているけれど、私は30代に入る前に塾講師を辞めているので、長く続けていらっしゃる現役の先生たちには到底敵わないのもわかっている。

ただ、新卒のたった1年間のことだったけれど、T先生から学んだことは、私の人生に大きな影響を与えているように思う。

三つ子の魂百までではないけれど。

***

そんなT先生だけれど、今どこで何をしているのかはわからない。

辞めると決めた時、私は震える声で

「たくさんお世話になったのに、実を結ぶ前に辞めようだなんて、本当に申し訳ない。T先生にはもっと教えていただきたいことがあるんです…」

と伝えたのだけれど、T先生から返ってきた言葉は

「いや、俺も辞めようと思ってるんだよね。だから気にしなくていい。」

というものだったのだ。


いろいろあった職場なので、何となくそんな気はしていたのだけれど、「あぁ、これで後は、今受け持ってるクラスをきちんと引き継げれば、思い残すことは何もないな」とホッとしたのを覚えている。

その後、T先生は大手の予備校に行ったとか、独立したとか、引き止められて辞められなかったとか風の噂でいろいろ聞いたけれど、結局のところはわからないままだ。私も過去を振り返らないようにしていたので、昔の職場の情報は意図的にシャットダウンしていた。

あれから10年以上経ち、今では懐かしく思い出せるようになったけれど、私はもう「先生」ではなくなってしまった。

T先生は、今でも先生のままだろうか。

今の私を見たら、T先生はなんて言うだろう。

私はあの後もしばらく別のところで講師を続けて、校舎長にもなったんですよ。

あと、生徒たちだけではなくて、私もT先生のことが大好きでしたよ。


話したいことが、たくさんある気がする。

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