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七つ目の裁き

「七つ目の裁き」
(本編約2万2000字)

人倫の道に悖る、それぞれの罪

獰猛な雄に嬲られる性獄は、官能と恥辱の極致だ
ゆるされないから安らいで、ゆるされたとして呵責する
どちらも地獄に変わりなし

本編完結。
電子版はすぐにお楽しみいただけます。

本編よりサンプル

 車内は、熱気と男の臭いが充満していた。
 獰猛な雄に嬲られる性獄は、官能と恥辱の極致だ。人権を、生命を真っ赤に露出させ、圧倒的な支配力で雌本能を自認させられる。
 野代涼は運転席の義兄に跨り、彼の怒張を弛緩した肛門で咥えていた。力強く脈打つ雄棹の逞しさに、肛悦の極致へと導かれている。準礼服のジャケットは埃まじりの雨水をぐっしょりと吸い、スラックスは涼が放った精漿液と失禁尿にまみれていた。靴下も泥水に濡れ、蒸れた革靴は生臭い。腋窩の汗腺が開いて、膚に破れたワイシャツが張りつく。豪雨に閉じ込められた軽自動車の中、気化した二人の体臭は強烈な雄麝香となり、涼の脳を酩酊させていた。
「あぁ……っ、ひろつぐさん……っ」
 五つ年上、三十六歳の義兄、久賀敬嗣の肉厚な胸板に涼の汗が落ちる。胸の中心から逆立つように覆う黒々とした体毛はしっとりと濡れ、雄々しい魅力に満ちていた。極上の雄フェロモンが放たれているようで、涼の雌蕊を淫らに惹く。理性を司る大脳新皮質は麻痺し、自己抑制と判断力が低下していた。一方で本能や感情を司る大脳辺縁系の働きが活性し、性悦を貪ることしかできなくなっている。
「はぁっ、んぁ……っ」
「ええで」
 義兄が力強く腰を振ると、張り出した肉エラがずるりと襞を嬲る。
「もっと締めろや」
 肉摩擦で粘膜が倦み、濁液を纏いながら襞が愛しい雄を吸い、絡みつく。四肢が末端まで痺れる。肉凶器が柔肉を穿つ肛交は容赦なかった。襞を掻きむしり、腸管も孔も裏返す暴力的な性悦は、脳を震盪させて髄液が攪拌されるようだった。
(壊れちゃう、毀れる……)
 涼は開脚した両大腿を震わせ、乱れた呼吸で何度も逞しい雄幹を恥裂へ迎え入れる。苛烈な衝撃をもって穿たれ、口角から垂れた涎をぬぐうこともできず、濡れた前髪が額に張りついては離れるのも構わず、ただただ肉襞が剛直に掻き分けられて犯されるのを堪能していた。
「くあぁ……っ!  ひろつぐさ、ん……っ、……あぁ……っ」
 雌の愉悦に膣襞を痙攣させて縋りつき、肉打ちの衝撃で涎が洩れる。膣粘膜の収縮と同時に涙が流れ、恥骨の裏側で脈打つ巨棹に与えられる雌の悦びに屈服する。
(愛してる、ずっと……)
 敬嗣は切れ長の目で鋭く涼を睨みつける。肉慾と憎悪に満ちた目に射られただけで、涼の脳は絶頂の打擲によって器質異常をきたし、二度目の失禁をした。もっと憎んでほしい、そう思うほどに涼の稚棹からは勢いよく小便が噴き、スラックスとカーシートへ沁み込んでいく。
(お願い、僕をゆるさないで。ずっと忘れないで……)

七つ目の裁き 本文より

Author’s Note

本編あとがき ゆるしについて

暴風雨のなかでのカーセックスから始まる本作は、仮タイトルも「暴風雨」として書き始めました。2作目の『赧くぬめる涎り蕊』が「魂が傷つけられたことをゆるせずに復権と謝罪を求め、それでもゆるせない心への自責」であったのに対して、本作は「傷つけた魂へのゆるしを乞うことで、相手の人生に永遠の染みを求める間接的な他責」という対比となっています。 3つの章をすべて読んでから何となく話がつながる構成にて、「えろいが、物語はよくわからん」と評されることが多い作品です。

 ゆるすということを意識したのは高校二年生の夏、三浦綾子氏の「氷点」を読んでからです。原罪を扱った作品全体に漂う「他責と自責」、主人公の陽子が求めた「ゆるし」。キリスト教における信仰告白とも思われる名著からの学びは濃厚だったと思います。
 それから僕自身もさまざまな経験をするなかで、他責と自責に悩む日々があり、いつかゆるしをテーマに作品を書きたいなという思いを、本作で少しだけ叶えることができたと思います。

 本作を読んでくださった方から「七つ目の裁きとはなんだったのか」という質問をいただきました。仏教における四十九日目、7つ目の裁きを受けた主人公の姉は、もはやゆるすこともゆるされることも具体的な行動に結びつけられずに消失する、そのこと自体が彼女にとっては罰だったのではないかと思いながら書きました。また主人公と義兄にとっても「ゆるしたい、ゆるされたい」と思いながら、具体的な行動を取らずにすれ違っています。自分という小さな器の中で「ゆるし」を自己完結的に扱うことで、永遠の他責と自責が内的に繰り返される様を「地獄かな」と考え、いずれ七つ目の裁きを受ける彼らが「ゆるし」を得る、与える機会もないままに消失していく哀れさを書きたいと思い、このタイトルとなりました。もう数ヶ月経ったら、別のことを言い出すかもしれません。
四十九日の解釈については後述いたします。

 スカトロ表現を書きながら(侵襲性が高い内容だなあ、大丈夫かなあ)と思った一方、僕の作品すべてでセックス中に小便を洩らしていること、第1作では大便まで漏らしていることを思い出し、「おもらし好きやねんなあ」と感慨深く、気にならなくなりました。
どうか、お手に取ってその手でご自慰ください。

書きながら聴いていた曲

中森明菜「嵐のなかで~misterioso “A”」
(作詞:夏野芹子、作曲:ORIGA)

 妖しいイントロから始まるこの曲は、暗雲立ち込める嵐と、「私」と「あなた」の間に吹き荒れる嵐が描かれ、「償いがほしい」と言いながら「包んでほしい」と言う、そのアンビバレンスな歌詞と哀愁漂うドラマティックな曲調、そして中森明菜氏の情念深い歌いを、主人公、義兄、主人公の姉の心の内を書く際によく聞いていました。

四十九日の解釈について

 作中の四十九日の解釈と七つの裁きに関しては、祖母の四十九日法要で、檀那寺の僧侶から受けた説法をもとに作成しました。詳しく調べるほどに畏れの意を覚え、浄土真宗の教えを正しく学ぶ方々からはお叱りを受けることも想定しながら執筆いたしました。一フィクション作品としてご容赦いただきたく存じます。

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