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社会福祉士の高潔さと私的な劣情の調和(拙著から〜)

専一の物書きでない人間が書くことなので、大目に見てほしい。

エロも、医療ソーシャルワーカーの矜持も書く。僕はそれを信条に書くことを選んだ。

拙著「ぬかるむ私利の淫ら口」の主人公は彼氏を敬愛しながらも、キャリア志向の理解が得られず、肉体的な欲求も満たされないことを心の片隅でさみしく思い、その隙間に潜り込んできた取引先幹部の男と不倫関係に陥る。
取引先の男によって仕事ぶりを認められ、昇進に関与され、さらには雌蕊の疼きまで満たされることで、主人公は男との姦通の沼に溺れていった。

僕は手を止めた。読者は主人公の矛盾を理解できるのだろうかと。
社会福祉士の高潔さを志す彼が、なぜ社会的逸脱である姦通に悩むことなく、さらに彼にとって聖域たる職場で性交の準備を行うのだろうか。

彼は定刻後に職場のトイレで肛門を洗い清め、括約筋を弛緩させ、取引先幹部の所有する車内で肛門性交に至る。さらに自ら快楽を貪り、彼氏には気取られないように平静を装って帰宅する。
まさに社会福祉士としての高潔さなど微塵もない卑劣さだ。

実は僕自身は、まったく疑念にも持たずにこの物語を紡いでいた。なぜなら描いた主人公は僕自身だからだ。
20年ぶりの病院機能評価受審でざわめく所属組織の中、若輩者でありながら新人数育と管理業務、患者支援を行う重圧。さらに直前で退職した先輩は拠点病院事業の部内整備に手を着けていなかった。自分が何とかしなければならないのだ、という腹のくくり方をせざるをえなかった当時を思い出す。

その張り詰めた意識の下で、自分を全肯定する取引先幹部からの龍愛は、唯一の心の支えだった。それは社会福社士の高潔さを保とうと努めながら、自分を保つために必要不可欠なものだった。僕も主人公も、取引先の男なしでは乗り越えられなかったことだ(結果、病院機能評価はS評価を受けている)。

自分が知っていることの説明を省くことで、読者は理解するのだろうか。また説明したところで、エロを求める読者が求める内容だろうか。僕は葛藤した。だが、プロの物書きではないという免罪符を、自らに許すこととした。エロ小説でありながら、社会福祉士の矜持をくどくど説明しよう、これは私小説のようなものだ、と。

主人公は優秀な後輩の磨き抜かれた革靴に、後輩の社会福祉士の高潔さを見出す。その時、主人公は勤務先の医師に電車内で尻を弄ばれていた。
主人公は社会福祉士の増員と引き換えに、事務部長から「尻を出せ』と言われて尻を出すし、浣腸を受けるといった下劣な要求にも応えている。そこまですることなのかと疑う読者もいるのではないだろうか。

病院細繊の中で、社会福祉士(医療ソーシャルワーカー)という少数の職種、しかも平均年齢30歳に満たない弱小部署が声を上げるには、少々の無理が必要なのだ。
作中の「尻を出せばいいとでも思っているんだろう、君の社会福祉士としての高潔さと引き換えだよ」という事務部長の言集は痛かったが、それでも生き残ることを選択した主人公の心情を、僕は思い出しながら描いた。
医療ソーシャルワーカー倫理制領を始めとした専門職としての質を担保しながら、声の大きい方に流されないように「社会福祉士として在る」ことは、僕にとってとても難しいことだった。
だが、自分が毀れたとしても後輩がいる、という思いを、描ききれたとも思う。

拙者「ぬかるむ私利の浮ら口」を世に出すことは、医療ソーシャルワーカーの信用失墜になると思った。それは倫理綱領への冒涜だからだ。
だが、こんな思いをしている社会福祉士もいたのだ。組織で生き残るため、自分を保つため、私利のために劣情に溺れながら過ごした日々があったのだ。それを物語という形で昇華させることに対する批判は甘受しよう。

僕は物語を書き上げた後、そんなことを思いながら KDP の「出版する』ボタンをクリック
した。そしてWordファイルを眺めながら「隼人くん、お疲れ様」と主人公を労った。

ぬかるむ私利の淫ら口


格上の雄に教わる、雌の悦び

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