「やりたいこと」と「やらなきゃいけないこと」

そんなバカな

 以前、「タスク管理のリストを作りたい」という相談を友達から受けたことがあった。僕は「『やりたいこと』と『やらなきゃいけないこと』を、まずは区別しよう」と言ったのだけれど、「やりたいことと、やらなきゃいけないことの違いがわからない」と返されて、僕は(そんなバカな)と呆気にとられてしまった。

 趣味、たとえば読書や映画鑑賞は「やりたいこと」。
 勉学、たとえば試験勉強やレポートは「やらなきゃいけないこと」。

 ところがその数カ月後、僕は今まさに「やりたいことと、やらなきゃいけないことの違いわからない」という思いを抱き始めた。
 「やりたいこと」と「やらなきゃいけないこと」の間に、いったいどれ程の差があるのだろう?

とある本

年収90万円で東京ハッピーライフ』という本をご存知だろうか。

 この本は題名の通り、「年収90万円でもいかに東京都下で楽しく暮らしているか」を紹介するエッセイだ。

 ・なぜ著者はこのような生活をしているのか、できるのか。
 ・世間の常識や当たり前といったことについてどう考えているのか、どう行動しているのか。

 そんなことが、ユーモアあふれる語り口で生き生きと語られている。

 なんだろう。

 なんだろう。

 すごく楽しそう。

 そんなこんなで、わたしは定職に就くことなく10年も経っちゃいましたよ。もし、自分のやりたい仕事を探し続けていたら今でも辛かったと思う。でも、「出来ないことや嫌いなことをしない」くらいで自分にオッケーを出す、という感じになってから、ずいぶんラクになりました。
 そして、好きなことなんかなくても、今すぐ見つけなくても、もっと言えば死ぬまで見つからなくたって、別にいいじゃないですか。大事なのは、嫌いなことで死なないこと。(・・・)
だって夢とか目的とか理由とか、ないんだもん。行きたいから行く! それ以外はどうでもいいじゃん。それで、あのとき引き止められて考え直して、世界一周も上京もしなかったら、隠居もしてないし本も書いてないと思うと、本当に周りの意見を無視して良かったー! と思う。わたしが死ぬときに後悔したら、どう責任とるつもりなんでしょうか。自分が決めたことなら諦められるけど、人に言われて諦めたなんて、死んでも死にきれません

※いずれも太字は引用者

 著者は「万人に隠居生活が合っているとは思わない」とたびたび注釈してくれるのだけれど、それでも僕は、「こんなふうに暮らせたらさぞ楽しいのだろうな」と思わせられた。

この世には、「やりたいこと」と「やりたくないこと」しかない?

 僕が「これはやらなきゃいけないことだ!」と思っていることを、こんなふうに軽やかに飛び越えてしまう人を見ると、やっぱり僕は思うんです。

 この世界って、「やりたいこと」と「やりたくないこと」しかなくない?
 「やらなきゃいけないこと」って、そんなになくない? 

 そう考えると、冒頭で言及した「やりたいこと・やらなきゃいけないことを区別できないフレンド」はかなり本質的なものの見方をしていたのかもしれない。

 僕の「To-doリスト」には

「やらなきゃいけないこと」
―「学業」
――「レポートの提出」
――「試験勉強」

 と書いてあるけれど、これって「本当にやらなきゃいけないこと」ではないんだよな。

 もちろん「単位を取るためにはレポート提出とか試験勉強とかをやらなきゃいけない」。でも、じゃあ、「どうして単位を取らなきゃいけないんだろう」と考えてみると、困ってしまう。

 「大学を卒業するためには、やらなきゃいけない」という回答もあるだろうけれど、それじゃあ「どうして大学を卒業しなきゃいけないんだろう」ってなる。

「やらなきゃいけないこと」デフレ

 僕はたくさんのことを「やらなきゃいけないもの」と自明視して生きてきた。でも、実際のところこの世にあるのは、ほとんど「やりたいこと」と「やりたくないこと」だけで、僕が思っているよりも「やらなきゃいけないこと」はずいぶん少ないんじゃないかな。

 なーんて、思ったりな。

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