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まさか40代で非定型うつ病を患うなんて1

そいつはいきなり襲ってきた

1.もしかして自分が何かおかしい?

2022年1月、私はとあるD社で働いていた。このD社、2021年6月に転職で入社し、まだ一年経っていない。しかし前職の経験値のおかげで会社の行方を左右する大きなプロジェクトを任され奮闘していた。

そしていつの間にか既にこの会社で一番残業する人間になっていた。いや、ならざる負えなかった。

このプロジェクトには3人がかかわっていた。一人が私の上司兼プロジェクトリーダーである部長、そしてもう一人がとある事に特化した若手のエース。私はその中でもまだまだ新人だったので一番簡単な物を任されていた。
ところがである。若手のエースが白旗を上げてしまった。また、その当時のリーダーも別件の仕事で忙殺されてしまった。その為、そのプロジェクト全体を一手に引き受けざる負えなくなってしまったのである。そこに国家資格の資格勉強も入ってきており、ほぼ休みなく仕事に邁進していた。それこそ毎晩エナジードリンクで栄養を補給しながら働かないと体が持たないほどであった。

そんな時である。夕方頃、後頭部から肩にかけて頭痛が毎日走るようになった。それとなく気にはなっていたのだが、疲れからくる頭痛かな?と思う程度の痛さでそれほど重く受け止めていなかった。
それから半月程経つと今度は出社時の電車の中だけ腰痛がするようになった。帰宅時は何ともないのにである。その頃、別件で整形外科へリハビリに通っていたので診てもらったが特に問題がなかった。

さらにこの頃、仕事でミスを連発し自信を無くしていた。しかし、ミスを連発するのは社会人になった初期からずっとだ。大抵転職後や転属後1年ぐらいの間だった。慣れてくると幸いあまり問題にならない。そう考えるといつもの事だった。でもなぜ初期で必ずミスを連発するのか?そこで疑ったのが…

私自身、発達障害なのではないか?

少々感じている部分は持っていた。この際だから一度、発達障害の検査を受けてみて問題があったら対策しようと考えた。2022年4月にSという心療内科の門を叩いた。K医師に診てもらったところADHD(注意欠陥多動症)と言う診断を下された。私はこの時「やっぱりそうだったんだ」と受け入れた。

しかし、後々これが大事件となる。普通、発達障害の診断が下りるのは本人から事情を聴きとり、心理検査を受けた後、初めてわかるものであると後から知った。しかしこのK医師は問診だけで判断を下したのである。

この時の診断を受け入れたところから話を進める。
医師はストラテラという薬を処方してくれた。これはADHDの人に良く使われる薬で、脳の前頭前野部分に多く存在する神経伝達物質「ノルアドレナリン」を活性化させる働きがあり、前頭前野部分は物事の段取りや、行動をコントロールする役割を持っている。ADHDの人はこの前頭前野部分に不具合があるから起こっている可能性があるとして使われている薬との事。

「とりあえずこれでミスが減るのならば御の字!」

当時はその程度にしか思っていなかった。ただ診察料、薬価が高く「これは毎回行くわけにはいかないぞ?」と思っていたところ、自立支援医療制度というものがあるという事を教えてもらった。医療費の1割負担となったため月2回通うことができた。
自立支援医療制度は、精神の疾患のため、通院による継続的な医療が必要な人の、医療費の自己負担分の一部を公費で負担し、医療費の負担を軽減する制度だ。という事はそれだけ事は重大な事という事である。この時の私は医療費が安くなったことにしか関心が行かず、事の重大さに全く気が付いていなかった。
さらに、頭痛、腰痛の事はすっぽり抜け落ちてたのである。

2.ミスどころか仕事が進まない

さて、ADHDの診断を下され無事?薬も手に入れた私。これで仕事に邁進できると思っていたのだが、頭痛と腰痛が発生する状況は続いていた。頭痛も夕方だけだし、腰痛も会社について30分もすれば収まる。土日は子供と遊んだり、趣味のバイクに乗るこ事もできるし

「まあとりあえず、プロジェクトの一区切りで身体を休めれば何とかなるだろう。」

とそんな風に考えていた。

2022年5月になり私は薬をきちんと飲み続けていた。しかし飲んでいても大して変わらないミスの連発、さらに頭痛、腰痛の継続に続き、全く治らない。さらには仕事の内容が頭に入らないことが度々増えた。時には気づいたらぼーっとしている事にハッとしたり、オンライン会議の時でも意見を聞かれても、聞いてたはずなのに何について話していたのかさっぱりわからない。

何かおかしい。

明らかに認知機能かワーキングメモリーかわからないが話を認知する機能がおかしかった。そして気づいたら1日たっても何の仕事も進んでないなんて事が5月末ごろに出だした。

3.そいつはいきなり襲ってきた

そんな5月を乗り越え、ようやくプロジェクトに区切りがついた。そして5月31日をテレワークで終えたが、この日は本当に仕事が進まない一日だった。実際、何もできない日であった。「あ~、これ次の日怒られるかなぁ~。」とも思いつつ仕事を終え眠りについた。

迎えた2022年6月1日水曜日。

朝起きると同時に身体がおかしい。頭痛、動悸、身体が妙に動かしずらい。寝室から出て階段を下りる。動悸と冷や汗が止まらない。会社に行く準備をしようとするとさらに動悸が激しくなる。とにかく会社に行こうとすると身体が拒否するのである。この時心の中では

「なんで?行かなきゃいけないのに体が動かない!!」

という焦りだけ。行きたくないなんて一つも思っていなかった。しかし、身体が自分の意思に反して拒否するのである。

なんだこれは?

自分で混乱しつつも、とりあえずこのままでは出社できない事は明らか。とにかく体調不良での休みの連絡を上司にLINEで入れる。その後休みが承諾されると、動悸は収まった。
しかし、身体は重く、見える景色はなんだかゆらゆらしている感じ。歩いてみると地面を踏んでいる感覚が無い。頭全体に激しい頭痛、頭が回らず、さらには口元がおぼつかず話すことができない、もう身体中が満身創痍の状態であった。

さてどうするか・・・

横になって2、3時間たったぐらいだろうか。ふと思い出したのが過去に人材派遣会社で営業として働いていた時の事だった。家から会社に出社できなくなった人の話をよく聞いていた。その事がふと頭をよぎる。その人たちがかかったと言われてた病気。そこでやっと原因に気がつく自分がいた。

うつ病ではないのか?

急いでいつもお世話になっているS心療内科に連絡をいれ、急遽診てもらう予約を入れた。夜19時半頃なら都合がつくとの事だったのでそこで診てもらえることになった。

私は夜の住宅街をゆらゆら揺れる景色と足の踏みしめる感覚がないままなんとか歩きつつ、S心療内科にたどり着いた。
少々待った後、名前が呼ばれたので診察室へ。
ただ口元もおぼつかない為、説明ができないと思い、念のため症状をスマホに打ち込んでいた。それをK医師に見せた。K医師は半分ぐらい読み終えたところでスマホを置いて話し始めた。

うつ病です。休職が望ましいです。

望ましいというのは強制ができないからだと解釈した。K医師は私の体調を鑑みて休職の診断書を進めてくる。しかし、私には妻も娘も家のローンもある。その事との葛藤で何とか休まず通院で対処できないかとK医師に話す。でもK医師の休職への説得は続く。休職は断る私。そこでK医師が見かねてお話ししてくれた内容は

「休職が望ましいと一筆書いた診断書を出します。万が一、休職用に診断書が必要になった場合、料金はいらないので診断書は再度発行します。それでよろしいですか?」

私もそれならばという事で自分を納得させた。診断書には中等度のうつ状態、3か月ほどの休養が望ましいと記載されていた。ただこれを見ても私にはピンとこない。そう、うつ病という言葉は知っていても事の重大さに気づいていない。言わば無知なのである。最悪3か月休めば治るのかと軽く考えていた。

この時、私は42歳。この後働き盛りを棒に振るとは思いもよらなかった。

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