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高校の「倫理」で教えられるフランシス・ベーコンの「四つのイドラ」がひどい出鱈目だった

高校の「倫理」でフランシス・ベーコンの「四つのイドラ」(「種族のイドラ」、「洞窟のイドラ」、「市場のイドラ」、「劇場のイドラ」)というのを習ったが、その説明がかなり出鱈目のようだ。そこでは「市場のイドラ」と「劇場のイドラ」は次のように説明されている。

市場のイドラ:

人間の交際の中で不適切に使われた言葉から生まれる偏見。人々が集まる市場で、誤った噂が流れることにたとえたもの。

濱井修監修、小寺聡編、『倫理用語集』、山川出版、第2版、2019年、p. 201

劇場のイドラ:

伝統や権威をうのみにし、誤った学説や教えを盲信することから生まれる偏見。劇場で演じられる手品や芝居を、観客が本物と思い込むことにたとえたもの。

同上

他の参考書をいくつか見てみたがどれも大体同じ、ネットで検索しても同様の説明が見つかる。

ところがベーコンの『ノヴム・オルガヌム』では「市場のイドラ」は、不適切な言葉、特に存在しないものを指す言葉(例えば「運命」とか)や曖昧な言葉(例えば「重い」とか「濃厚な」とか)を使用して議論することに由来する誤りと書いてある。また「劇場のイドラ」については従来の哲学(学問)の誤ったやり方(通俗的な概念や乏しい経験や迷信を元にしていい加減な物語を作り上げる)に由来する誤りと書いてある。石井栄一『ベーコン』(清水書院、1977年)に当たってみたが、やはりそのように説明されており、特に他人との交際とか噂とか伝統とか権威について書いてあるわけではない。ちなみに種族と洞窟のイドラは人間一般についての話だけど、市場と劇場は学者を対象にした話のようだ。

高校倫理のような説明はいつどこから生まれて定着したものなのだろうか。

ChatGPTのハルシネーションみたいだなあと思って、試しにChatGPT(GPT4)に聞いたらずっと正確な答えが出てきた。英語版のWikipediaの説明はほぼこんな感じだったので、多分、英語で出力した説明を翻訳しているのではないかと思う。

以下、ChatGPTに「哲学者フランシス・ベーコンの唱えた「イドラ」についての説を説明してください。」と質問して出力された答え。

フランシス・ベーコンは、科学的方法と帰納的推論の重要性を強調した17世紀の英国の哲学者であり、彼の著作『新機関』において、人々の思考がどのように誤った方向へと導かれるかを議論しました。彼はこの誤った方向への思考の傾向や偏見を「イドラ(Idols、偶像)」と呼び、それらを4つのカテゴリーに分けました。

イドラ・トリベス(Idola Tribus) - 一族の偶像
これは人間の本性に普遍的に備わっている誤認です。人間はある種の自然な感覚や認識の制限を持っており、それが原因で世界を誤って解釈することがあります。

イドラ・スペクルス(Idola Specus) - 洞窟の偶像

個人の教育や体験に基づく誤認を指します。この偶像は「洞窟」のメタファーを通じて、人々が自分の経験や信念の「洞窟」の中からしか世界を見ないという考えを示しています。

イドラ・フォロス(Idola Fori) - 広場の偶像

言語やコミュニケーションの誤用に関連する誤認です。言葉の不正確さや意味の曖昧さが思考の誤りを生むことがあるとベーコンは考えました。

イドラ・テアトル(Idola Theatri) - 劇場の偶像

これは学問や哲学の誤った教義や思考体系に関連する誤認を指します。既存の理論や体系が現実の真実を歪めるとベーコンは考えました。

ベーコンは、これらの偶像を乗り越えて真実の知識を得るためには、厳格な観察と実験、そして帰納的推論を使用することが不可欠であると主張しました。彼のこの考えは、近代科学の方法論の基礎を形成する要素の一つとなりました。

ChatGPT(GPT 4)

追記
Facebookにこのことを書いたところ、ある人から大西祝の『西洋哲學史』(1905年)には劇場のイドラが次のように説明されていると教えていただいた。

以爲へらく、總じて昔より言ひ傳へたる古人の敎說等は一種の權威を有するものとせられ吾人は之れを考査せずして受け容るゝ傾向を有す、是れ學者の第一に去るべきイドーラなり

大西祝『西洋哲學史』
https://ja.m.wikisource.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E5%93%B2%E5%AD%B8%E5%8F%B2/%E4%B8%8B%E5%8D%B7#chapter12-29

ひょっとすると高校倫理的な劇場のイドラの説明はこのあたりに由来するのかもしれない。


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