開運3

幸せで在る は娯楽

正直私もこの仕事をしておりまして
幸せセンサーが鈍く玉ねぎの皮がまだまだ沢山あるが、
「自分は十分幸せだから大丈夫」とおっしゃる方は少なくありません。

※詳しくは「好きなものが見つからない」人に教える好きなものを見つける方法①をご覧ください

私から見ると「不幸がいいから放っておいて」と言っているように聞こえるのですが不幸も幸い、不幸で苦しむことが喜びと言う方も多くいらっしゃるのも理解しております。

この場合「自分は十分幸せだ」の「幸せ」は
自分が存在する事だけで幸せなのではなく
自分の存在を認めれないから誰かが認めてくれる為の道具が沢山あるから幸せ
と言う方がほぼ80%以上なのですがまあ気づいていません。

けれどそれでも幸せなのでしょうね。
人の最終願望は自分の存在の認知。
それを”自分で行う”か”他人に任せる”の違いなのでしょう。

そう考えると自分の幸福をしっかりつかみ取ると言う事は
私にとってはとてもとても大切な事と思っておりますが
娯楽なのかもしれません。

正直私も幸せになろうと「努力は幸せになる為だけにするもの」と決めてそれに向けて泣いて、笑って、怒って、葛藤して、相談して、一個一個肩の力が抜けて、一個一個安心の世界に向かい、一個一個周りに幸せしか存在しない状態になり、周りが幸せに協力してくれるようになるまで、私は楽しんでました。
本当に楽しんでいたのです。

目の前に掌に幸せと言う小さな宝石が増えていくことが非常に楽しかったのです。

誰かを疑うのではなく 誰かを憎むのでもなく
ただ毎日天気を喜び、自然を喜び、縁に喜び、人に喜ぶ、
自分が存在するだけで幸せな世界

そんな夢物語な 天国のような世界があって、
それは娯楽であり楽しんで行けるものだと分かったら
すっごく すっごく 面白いですよね。

いつもブログをご覧いただきありがとうございます。あなたに素敵な時間が舞い込みますように。