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風と花の賦――平安神奇譚【第二章・夏の舞(第10話)】

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 山、したたる。
 一斉に芽吹き始めた、せ返るばかりの生命の律動が地上に満ちている。
 嬰児の口の中のように柔らかく、わかかった緑が、日増しに濃く厚くなり、ついには巨大な生き物の、粘膜に覆われた硬いうろこを思わせるほどになった。
 降り注ぐ烈しい光が、無数の鱗を溶かし、緑の液体となって滴る。山全体が、滴っている。
 風笛は、そんな夏の山の〝胎内〟にいる。
 いつものはなだ色の狩衣に身を包んだ風笛の姿は、相変わらず少女おとめと言うより目元涼やかな美少年の風情だ。
 ひんやりとした、薄暗い森の底に、風笛は眼を閉じて立っている。
 両手を、静かに頭上に伸ばす。緑が滴って狩衣を濡らし、更に皮膚の中に染み込む。
 血のくだを通って、身体の奥深くへと運ばれていく。
 春の気が羽毛の軽さを与えるのに対し、夏の気は体の芯にこごって、つよさとなる。
 春の柔。
 夏の剛。
 秋の燦。
 冬の烈。
 それらが渾然一体となって初めて、緩急自在、変幻万化の境地に至る。
 春には春の修行、夏には夏の修行がある。 風笛は、おのれの中を流れるものの音を聞き、その音に沿って共に流れてゆく。
 身体の中には血の流れと、気の流れとがあるのだ。唐土の医術は、それらを〈陰陽いんよう二元論〉で捉える。
 つまり、〝太陰たいいん〟・〝少陰しょういん〟・〝厥陰けっちん〟からなる〈陰脈三脈〉と、〝太陽たいよう〟・〝少陽しょうよう〟・〝陽明ようめい〟からなる〈陽脈三脈〉によって、人の身体は構成されている。
〈陰脈三脈〉と〈陽脈三脈〉を足して六脈、これが手足にそれぞれ存在するため、計十二脈となる。
 この十二脈を、〈正経せいけい十二じゅうに経脈けいみゃく〉と呼ぶ。
 正経と正経の間には、更に〈奇経きけい八脈はちみゃく〉と呼ばれるものが身体の内部を縦横に走っている。
 正経のうち、陰脈は〝はい〟・〝〟・〝しん〟・〝じん〟・〝心包しんぽう〟・〝かん〟の六臓に繋がり、一方陽脈は〝大腸〟・〝胃〟・〝小腸〟・〝膀胱〟・〝三焦さんしょう〟・〝たん〟の六腑に繋がるとされる。
 身体の中を縦横に走る経脈を知り尽くし、その流れにひたすら耳を澄ます。
 視点が極小化するため、相対的に自分の身体がどこまでも拡大するように感じられる。
「花狩とは、ただ競いの技にあらず、おのれを知るすべなり。人は鏡を覗いて己を〝見た〟気になるが、真の己は〝眼に見える〟ところにはないのだ。眼に映る〈形〉は、すべて虚像に過ぎない。〝観る〟べきものは、〝眼に見えぬ〟ところにこそあるのだ」
 花氷男が何度も繰り返し、風笛に言い聞かせた言葉である。
〈形〉である身のたけは、十六、七歳にもなれば伸びるのを止める。だが、〈心〉は違う。
 修行次第で一生深め続けるのも可能な代わり、逆に十ばかりの年で、はやくも固まってしまう者もいる。
 ――〈心〉とは、井戸のようなものだ。
 花氷男はたとえを用い、噛んで含めるように説く。
 汲み続けなければ、井戸は枯れてしまう。人の〈心〉も井戸と同じで、常に古い水を汲み出しておかなければ、中の水は濁り、ついにはれ果ててしまう。
 それを避けるには、先ず自在に〈心〉の底へ下りていける力を身に付けねばならぬ。
 風笛の〝意識〟は、一旦身体の外へ脱け出した後、頭上に差し伸ばされた指の先から、光や風と共に再度自分の内部に潜り込む。
 風笛は今、極小の〝眼〟と化して経脈を辿り、自らの深部に分け入っているのである。
 正経と奇経の上には、経穴が無数に並んでいる。皮膚の上にしるしが描かれているわけでもないのに、経脈の中継点と言うべき経穴の位置が、風笛には手に取るように観えている。
 それはかつて花氷男が、風笛を廬の一室に敷かれた畳の上に裸で横たえさせ、それら経穴の一つひとつを指でしながら、感覚的におぼえさせたものなのである。
 女と知られるのを恐れ、胸にきつく布を巻き付け、顔に炭や煤まで塗っていたこともある風笛だが、花氷男の指に身体のあちこちをさわられても、不思議と厭な感じはなかった。
 経穴の所在を教える間中、花氷男は眼をつむっていてくれたし、指のれ方や動きも澄んでいた。
 ――もうわざとすみすすで汚さずともよいのだ。
 あの日の花氷男の言葉を、風笛は片刻も忘れたことはない。
 耳が音を拾うというより、温かい光のように直接はだに沁み込んできたあの声。
 それが少女の心を固く覆っていた殻を剥がしてくれたのだ。
 だから花氷男の手に身体を触れられること自体は問題ないのだが、経穴をされると刺激が走る。
 たまに刺激が強すぎて、思わず小さく声を上げてしまうことがある。
 そんな時は、さすがに少しずかしい。
 経脈の流れを辿ってゆくと、やがて柔らかな闇が広がる場所に出る。
 その闇の底に、静かな湖水がほの白く浮かんでいる。
 ここが、現在いまの風笛が辿り着ける限界なのであった。
 風笛は湖水の岸にたたずみ、じっと眼をらす。
 すると、どこからか月の光のような明かりが差してきて湖面を照らし出すのだった。
 美しい眺めだが、湖水はまだ充分に澄んでいるとは言えない。
 僅かながら濁りがあり、それゆえに底が〝観えない〟。その水を更に澄ませていくのが、〈狩人〉に課せられた修行なのである。
 湖水が完全に澄んだ時、その底に〝顔〟が映ると花氷魚は言った。
 ――それが、そなたのまことの顔なのだ。
 風笛は、自分の〈真の顔〉を〝観たい〟と思いながら、それを恐れる気持ちも同時に感じていた。
 そんな気持ちを修行の不足だとみなし、一時はずいぶん自分を責めもした。だが、この頃では少し違うような気もしている。
 怖ければ、怖いままでよいのではないか。人は花の下に立てば美しいと思い、崖の上に立てば恐ろしいと思う。
 人の中には、崖の上に渡された綱の上に立っても、眉一つ動かさぬ者がいるが、それは果たして褒め讃えらるべき剛の者なのであろうか。〝恐れ〟のない者は、〝花を愛でる〟こともまた知らぬのではないか。
 つか咲いて散ってゆく花々に〝あはれ〟を覚え、この世の無常を想う。心を澄ませ、磨く。鏡のような心に映り込む影と、その影が水面に広げる波紋。
 それらすべてを、ありのままに受け入れること。
 ――己の真の顔を観る。
 とは、そういうことなのではないか。
 近頃では、そんなふうに思うようになってきた。
 ――花氷男さまは、何とおっしゃるだろう?
 たずねてみようと思いながら、まだ口にする勇気が出ないでいる。
 なぜか、羞ずかしいのだ。見当違いもはなはだしいと花氷男に否定されたら、もちろん羞ずかしい。でも万一褒められでもしたら、それはそれで羞ずかしくなるような気もする。
 ――この気持ちはいったい何なのかしら。
 当の風笛にもよくわからないのだが、経穴を圧されて声を上げてしまった時のように、われ知らず頬が火照ほてってくるのだった……。
 
「……つッ!」
 風笛の意識は、一気に己の内部から浮上し、五感が再び外へ向かって開かれた。
 その変化があまりに急劇だったせいで、痛みをともなう眩暈めまいに襲われたが、瞬時に立ち直り警戒態勢を取る。
〝気配〟が立った。
〈花の狩人〉としての修行を積むうちに、風笛は〝気配〟を〝色〟として〈観る〉ようになった。もちろん、風笛自身に狩人としての素質があったからこそ可能となったことである。 
 その〝気配〟は風笛の眼に、不穏な灰褐色を帯びて映っていた。
 ――花氷男さまの結界が、破られたというのか!
 色のみなもとを探りながら、風笛は心の中で叫んでいた。
 にわかには信じられない。
 風笛が初めてこの谷にきた時は、花氷男の背中を〝目印〟にして付いていったこと、花氷男が背後に童がいるのを知り、一時的に結界を緩めてくれたことのおかげで、廬まで辿たどり着くことができたのだった。
 風笛が一人で東之谷を出て、また一人で廬に戻れるようになったのはごく最近のことである。目視もくしに頼ると必ず迷う。いつまで歩いていても谷の外へ出られない。
 市で必要な物を買い調えるため谷を出ることがあるのだが、そんな時風笛は眼を閉じて〝東へ何歩〟、〝南へ何歩〟という具合に、花氷男に教えられた通りに歩く。
 眼を開けると、市に続く道にいる。
 あるいは、見慣れた谷に戻っている。
 要するに花氷男から〈迷宮の地図〉を渡され、その通りに歩いているのであり、風笛が自分の力で結界を越えているとは言えない。
 花氷男の結界にさまたげられず、谷に入ることのできる人間は、長耳だけのはずだった。
 だが、これは長耳ではない。気配の〝色〟が違う。
 長耳の気配は無色無臭に近い。だが、この気配には、いぶされた枯葉のようなにおい・・・が混じっていた。
 ――こ、これは……。
 嗅覚きゅうかくが、記憶を刺激する。
 幼い自分を邪険に殴り、足蹴あしげにし、唾を吐きかけてはずかしめた存在。しかもこちらが女と知るや、おぞましい肉欲を剥き出しにして組み敷いてこようとさえした存在――〝男〟の身体特有のにおいだった。
「な、何者か」
 誰何すいかした自分の声が震えているのを、風笛は意識した。


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