わたしの自分軸は「投げやり」な気持ちから造られてたのかもしれない説
私の自分軸はコロナの間に縮こまっていってしまっていた感覚がありました。2019年には結構自分軸強かった印象があります。
「コロナの影響で」というのは
私の外界との交流がかなり減っていてというのを前提の意味とします。
2020年以前は
細かく「初めまして」があり
初めましてからの
誰でもある第一印象と本当の違いや
偏見を含め、
いろいろな
第一印象、本当との違い、偏見
それぞれ大体一緒のイメージでも
変わるがわると
てきとー
に
「楠木さんって〇〇ですよねー」
「楠木さんって〇〇だから〇〇だもんね」
など自由なことを言われていました。
でも、
そんな自由な偏見も、
短期間にいろんな人に
立ち替わり言われるため、
耐性
が作られていて
『どーでも良。』
っていう、
「投げやり」な気持ち
でいられたんですよね。
いつも、どこでも、
"『どーでも良。』"
で流せていたから
"耐性"があったから
自分軸。
あったのですよね。
今、自分軸
全くないとは自分はおもわないのですが
人と会うことも、初めて会うことも
かなり減って世界が限定されてしまっている私の周りです。
自分軸形成が
少し若くなってしまって
少し生きづらいです。
でもなんだか
先日『どうでも良。』
が身近ですごく起こる日があってこのことに気づけたのと
また、自分軸ができていくのか!!!
と少しわくわくしました。
この感覚はわたしだけなのかな?
みんな共通なのかな???
2023.12.16楠木詩織
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