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「レンタル何もしない人」最終回

たまたまテレビを深夜につけたら

「レンタル何もしない人」の最終話だった

コロナ渦で 途中で番組放送が中断してから

すっかり忘れていたのだけど

復活していきなり最終話なのか

復活して何話か放送があり

最終話なのかは

わからない



会社?をやめた 

妻と乳飲み子がいる若い男性が

「レンタル何もしない人」という

ただ 存在するだけの仕事を

かかった交通費だけをもらい、やる

貯金は減ってゆく中での

奥さんの気持ちや

その家族の反応など

言葉として語ることは少なかったが

深いものがあった


最終話は

お客さんから

旅行券1万円をもらったことが

きっかけになり

有料で仕事を請け負うことに

奥さんは好きなことをする

自由人を宣言

何もしない人と自由人の夫婦へ💗


今回この番組をはじめてみるパートナーと

一緒に

いい話だねと言いながらみたら

最終話だった(笑)


何もしないといっても

それは

一般的な世間の見方であって

人の存在の大切さは

例え傍らにいて言葉を発しなくても

それだけで救われる人がいる

有料化の仕事の一例は

大人の男性がブランコを

思いっきり漕ぐのに立ち会うという流れも

象徴的

だだ

金銭は発生しないが

仕事の内容としては変わっていないのだ


考えてみたら

ただ日常を流している

動物の動画のYouTubeも

バズれば

多くの収入を得る

普通の日常が

特別なことになった時に

起こる現象なのだろうか......




私も

かつてそうだったが

何かをしなきゃとか

人の役にたつとか

使命とか

生まれてきた意味とか

そんなことを

自らが求めてゆく時代もあった

しなきゃいけないと

すり込まれてきたのだと思う

でも

時代はかわりつつある



何もしないの「何」とは

なんだろうか?


わたしも世間からみたら

意欲的に何かをしているわけではない

何かをしなきゃいけないというのは

子供の時からの刷り込みだと思うし

ある意味 親や世間からの呪文のようなもの

私は今も親に

「あんた何かしてるの?」「何してるの?」と

言われているから(笑)


かつて終電まで 働いていた私は

今や毎日予定が入ることが続くと

自分が押しつぶさされような気がする

朝起きて

何も予定がない日は

幸せを感じるくらいだ

だからといって

日常の営みはしているから

充分何かをしているのだ


「何もしない人」は

何もしていないと

勝手にジャッジされてるだけで

充分何かをしているのだと思う.。o○


生きてるって

そういうことだと思う。。。


何もしてないようようで

何かしてる


そして


例え

何かをしてないと思える時があっても

そんな時にこそ

何かが新しく

生まれている•*¨*•.¸¸☆*・゚
















三昧琴の音を増やしたり、活動費や画材代として使わせていただきますね•*¨*•.¸¸☆*・゚ありがとうございます💗