スマホ依存~便利さの向こう側
電磁波のお話会を検索していたら
スマホ依存の本がでてきた
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まあ
わかっているけど
やめられないってやつ
FBのアカウントでの
シェアしたい病も
わたしの中でのSNS依存だったと思う
今は
だいぶ距離はとれているけど
SNSは時に自分軸を狂わせる
現在の私のスマホの使い方は
写真と仕事
描いた絵の写真をとり
ネットに投稿
全くの言い訳なしに言うと
もちろん
絵を
見て欲しいから
やっている
あとは日記のように
写真をとり
非公開のInstagramにのせ
その時の思いを言葉にする
絵の投稿以外は
ほぼ自分のためなので
他人の評価は
気にならない
実は
私は
デジタル社会に
信用があるわけではない
大事なことや
大事な思いは
手書きで
ノートに描いている
絵の写真は
過程を撮影したものならば
消えたら泣きは入るけど
完成した絵の写真が
消えたら
消えたーで
しょうがないと思うだろう
書いて
描いて
写真とって
言葉にして
手放す感じ
✧
家族が
YouTuberのYouTubeにでてくる
保護猫が急死したと
休日に泣いて過ごしていた
わたしは
2年前に愛犬を看取ったから
そこに意識をもっていこうものなら
しんどくなるからスルー
家族から悲しみが伝わってきて
思わず半泣きになったけど
立直す
起こっていることは
画面の向こうの知らない世界
「涙を流すやさしい人」かもしれないけど
それよりも
YouTubeとかネットって
怖いなと思った
他人との最低限の境界線がなくなる
思い入れたぶん
まるで
自分のことのように悲しむ
愛犬の死とリンクするのかもだけど
寄せられたコメントを読み
また涙するなんて
なんか
境界線がなくなり
人の思いまで背負い
変なループにはいっている
渦中にいると
何を言ってもムダ
わたしは
いわゆるHSPだから
距離をあえてとる
距離をとるから
そこに繰り広げられる世界を客観視すると
どこか滑稽でもある
死に対して滑稽といっては
いけないのだろうけど
会ったこともない人の
身に起こったことなんだよね
ネットは
人や世界を縮めた
コロナは
zoomをはやらせ
人の距離を近くした
飛行機に乗らなくても
会えるのだから!
いいこともあるのだけど
距離感間違えたら
あかんと思う
目の前の愛犬が死んで
ロスはしょうがないかもだけど
スマホの向こうの猫が死んで
ロスは違うと思う
それだけ
その猫に癒されていたのだろうけど
でも
スマホの向こうの
知らない相手なのです
友人との言葉だけのメッセージのやりとりも
同じような
距離感を間違えることになったりする
相手はわかってくれてるつもり
相手をわかっているつもり
が、些細なことで
狂うときがある
直接会って話していたら
起こらないことが
スマホ経由だと起こる
もちろん
私も失敗している
距離感が狂うって
肌感覚が狂うことなのかもしれない
そんなこんなで
デジタル化で
距離が縮まり
時短され
それは よいことばかりではない
政治では
ムダを省く流れみたいだけど
肝心なところで人のぬくもりとか
言っていたけど
肌感覚がくるったら
肝心なことが
わからなくなるのじゃないかなぁって
思ったりする
まあ
確かに
おかしな取り決めは
世の中に たくさんあるけど
だからといって
便利
スピードが早い
簡単ばかりじゃなぁと
思ったりする
スマホが教えてくれることではなく
目の前に起こったことが
真実だから
と、散々
便利なアプリを使っておきながら
思うのだ
昔に戻ることはない
でも
スマホなくて
生活できたこともあった
ほどよく
スマホての向こうの世界とは
距離をとろう
感覚を
見失わないために
大事なものを
見失わないために
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