りんご

 真上に軽く放り投げたリンゴを受け止める。かこっ、というような音と感触が手に心地よかった。ベッドの中の紫の顔は赤く、冷えピタが額に貼りついている。「紫」と書いて「ゆかり」と読む。ゆかりちゃんだ。そう呼んだことは一度もないけれど。弱っているところなので、そう呼んでみてもいいかもしれない。いつもクールな感じなので、照れたりするかもしれない。世界一かわいいよ、と言いたい欲望はいつもある。
 紫様がお望みなので、わたしはリンゴの皮を剥く。ベッドの横に背中を預けて床に座り、果物ナイフを操る。背中越しに紫の視線を感じる。静かな吐息が聞こえる。幸せと言ってしまうのの一歩手前……そんなフレーズを思い浮かべて、そういうのがちょうどいいんじゃないかなと無意識に近く思う。
「すりおろす?」
「いや、普通に。八つに」
 ザラッと乾いた声がキュートで……いやキュートなのか? と何となく首を傾げる。でもキュートだった。
「ありがと」
 八つの欠片がのった皿をベッドに置いた。紫が身体を起こそうとしたところで、わたしは欠片の一つを掴んで彼女の口元へ持っていく。
「いいよ。食べれるよ」
 そう言って紫はわたしの指からりんごを掴みとる。梨はしゃくっという感じで、リンゴはさくっという感じがする。イメージ。イメージ。
 吐息が熱そうで、色っぽい感じで、つい不遜な笑みが浮かぶ。紫がリンゴのひと欠片を食べ終えたところで、わたしはもうひと欠片を口にくわえた。半分の手前のところを歯で挟んで、「ん」と彼女のほうに差し出す。呆れたような視線が返ってきた。
 ふうっとため息をついてから、紫はすっと表情を消して、わたしのほうに顔を寄せる。パジャマの襟元から白い首筋が覗いて、うっすらと汗をかいていた。さくっと欠片が齧られて、その半分が紫の口の中へ。さくさくという音を聞く。唇にやわらかいものが掠っていったような気がするけれど、きっと気のせい。


#百合

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