思春期の息子に対峙したら実母のことを思い出した

長男思春期の反抗期、親側を経験するにあたり、「ああ、これ、自分が反抗したことなかったら、キツイやろうな」と、実母のことを思った。

「自分がゆるされなかったことを受け入れる」って、自分の人生否定することになるもんな。

最も、私は別に反抗を許されてはなくて全否定でこてんぱんにとっちめられて、それでも抵抗をやめないから母が先にあきらめた。「もう好きにしなさい」と。

でも、母を意識せずにいきられるようになるまで数十年かかったし、いまもまだこうして思い出したりするから、傷は深かったのだろうな、とは思うけど。

離婚を機に自他の境界がきっぱりしたから、息子の反抗期は怖くない。
てか最初から我が子のイヤイヤや反抗は、怖くなかったな。

「私と我が子の意見が違うことに傷つく」って、相手が別の人間て認識ができないってことやから。そこを、わからないまま、子育てしたら、ああなったのか、なるほど、という納得。

相手は親という立場にもかかわらず、「自分の意見を持つこと」「自分の世界を持つこと」を、まるで悪いことのようにさんざんいわれたし、友達と過ごす時間が増えたとき(いうても大学生)には、「冷たい」「家族を捨てるのか」みたいな意味合いのことを言われた。

わたしは自立してからもその罪悪感に長くとらわれていたけれど、いま、反抗期の息子を前におもう。

あれ、親側の発想じゃねえな。

「捨てないで、という不安」て、本来、子どもが持つべきものじゃないのか。

「あんたも親になれば気持ちがわかる」とさんざん言われて育ったわけだが、確かにいま、わかったよ。

あれは子にぶつけるべき感情じゃなかった、と。

私は誰かのかわりにぶつけられただけだ。私が悪かったわけではないのだ。

皮肉だが母が望んだ「共感」の「わかる」は、ない。あれは大人がやっちゃダメだ。

でも、「納得」の「わかる」は、あるよ、お母さん。

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