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財布を落としたくらいで、人は、死ななくていいのだ。

昨日落とし物して警察に問い合わせたら
「その期間おなじものを落とした人が県内に32人いて…」みたいなんいわれて、
世の中のうっかりさんは私だけではないんだと妙に安堵した。見つからなかったんだけどね。

ずっと思ってたけど、
「私は無能なんだ」と、精神的自傷をするきっかけを与えた人は、みんな私を凝視していた。
見つめすぎてまわりなんか見えてやしない。
たとえ同じ失敗を自らがしていても。
そんなことは見えない。
ただ、目の前の私がした失敗を責めることに夢中で。

こどもが失敗したときに責めずにはいられない人のほとんどは、「反応している」だけだとおもう。
「失敗した」→「お前はわるいっていわなくちゃダメ」みたいな。

そこに、こどもに対する愛も信念もない。

「まぶしくて目を閉じた」くらいのもんでしかない。

でも、それを繰り返しやられた方は、たいがいその癖を引き継いでしまう。
ほんで別の誰かにそれをするように一旦なるとおもう。

もしそこから抜け出せるとしたら、
「失敗を反射的に責める、を、しない大人」に、まず出会わないといけないし、
そこから、
「じゃあどうしたらいいか」を一緒に考えるという経験を通じて
「あれ?失敗しても死ななくてよくない?」
ってところまで失敗しないといけない(笑)

だから、時間かかるよ。

わたしももう40過ぎたもんなあ。

今回、
わたしは「大事なものをおとす」をやらかしたけど、
朝だったし「帰ったらまず家を探す→カード会社に電話→落としたかもしれんお店に電話→警察に届け出」とシュミレーションだけして
思考を手放した。

だって目の前の仕事を放り出すわけにいかない。

いままではそれができなかった。

一つ失敗したら「失敗したかもしれない」でも、それを責める行為にあたまのなかの容量を持ってかれていま目の前の仕事でミスしたり我が子に向き合えなかったり大事なことを見逃したり。本末転倒甚だしかった。

でも、きのう、
「失敗を責める」をしなくても動けた。迅速にやるべきことができた。

たぶん被害は最小限で、見つかりはしなかったけど「大丈夫」だった。

財布を落としても、
人は死ななくていいのだ。


追記
それでも反応せずにはいられないとき、
わたしはこれを聴く。

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