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外撮り(野外撮影)について 第一回

・はじめに

よく聞く話のひとつに、こういうものがあります。

「外撮りはしてはいけないことなの?」
「迷惑をかけなければ、悪いことではないんじゃないの?」

これに対するぼくの個人的な回答はこうです。

「基本的に、外撮りはしてはいけません」

しかし一方で、ぼくは外撮りを嗜みますし、それを好んで行う知人もたくさんいます(それと同じくらい外撮りを嫌悪する知人もたくさんいますが)。
では、なぜこうした矛盾があるのでしょうか。
まずはそれを知っていただきたく思います。

・なぜ「外撮りはしてはいけない」の?
端的に答えるならば、「基本的に趣味というものは閉じられた場で行うものだから」です。

例えば、一般的ではない性志向があるとします。
これは、密室内で、同意する相手と行う限り、誰から何を言われる筋合いもありません。
これは閉じられた場で、閉じられた関係性の中での出来事であり、そこに踏み入る者はいないからです。

しかし、そうした行為を屋外で行った場合はどうでしょう。
衆目の前でそうした行為は許容されますか?

ぼくは、noであると思います。
それは、開かれた場で、開かれた関係性の中での出来事だからです。
つまり、それを望まない者(あるいは場)に対して、望まない行為を押し付けてしまうからですね。

ある者は、自身の嫌悪感から拒絶する方もいるでしょう。
またある者は、自分の子どもに真似してほしくないという理由の方もいるでしょう。
理由は様々だと思いますが、開かれた場で望まない趣味を見せられるというのは、好ましい行動とは言えないということが伝わったのではないかと思います。

勿論、野外撮影というのは特殊な趣味の性行為よりは、格段に理解されやすいものだと思います。
特に昨今では、ぬいぐるみを用いた野外撮影(ぬい撮り)の文化も広まりつつあります。
その意味で、周囲の理解というハードルは低くなる傾向にあるのは確かでしょう。

しかしながら、問題の本質はそこではありません。
「理解されやすい」ということと「理解される」ということの間には天地ほどの開きがあります。

例に挙げた行為であれば、「なんで理解してくれないんだ」という言は見当違いなものであることが分かると思います。
フィギュアの野外撮影(公開の場で趣味を行う)という行動は、本質的には先の性志向の例と変わらないものであり、他者の理解を得ようと思ってはいけないのだ、と思ってください。

理解されない行為だからこそ、他者に迷惑をかけるのはご法度なのです。

大前提として、「外撮りはしてはいけない」ということはご理解いただけたでしょうか。
次は、「迷惑をかけなければ、悪いことではないんじゃないの?」という問いについてです。


外撮り(野外撮影)について 第二回|深波 月夜|note

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