ニュージーランド・オークランドへ一人旅に出かけた話。(1)
2019/3/31 10:32
-年始から3月までのあれこれ-
この間、ニュージーランドのオークランドへ一人旅にでかけたときのことを細々と綴っていこうかなと思います。
【2019年始まってから一人旅に行くまでのこと】
旅の直前に風邪をひきました。最高39度5分の熱を出し、高熱すぎて耳まで壊し(軽めの中耳炎と診断されました。)
一人暮らしの風邪というのは本当につらいものです。普段病院にほとんどいかないので、まずは病院をググって、行き方をググって。お薬手帳を探して。
冷えピタをおでこに乗せてくれる人も、ヨーグルトを買ってきてくれるひともいないので自分で全部やらねばならないのです。哀れでみすぼらしく、自分が情けなく感じられます。はい。
ドイツ留学から帰国してから(というかポルトガルにいってからか。)世界って息を呑むような美しいこととか、面白いこととか人とか。まだ出会ってないものがたくさんあるんだな〜って痛烈に感じて、その好奇心を探求しようっていう気持ちが強くなっていきました。気分的には"探検家になろうかな!!!"みたいな笑。
でも、これからは東京で自分で自分を100パーセント養わなければいけないわけで。奨学金も返済しなくてはならないし、家賃、光熱費、生活費など一切ガッサイ。もろもろを自分で払うだけの経済力を持ち合わせ、それでいて自分の好奇心を生かすにはどうすればいいのだろうか?自分の経済力エクセルシートとにらめっこしたり、情報をたくさん集めたりして。そうやって現実問題とワクワクの部分の合致点を見つけることに、必死な1、2月でした。
そんなこんなでもがいていたら(紆余曲折ありすぎた)、縁があって私が心底やりたかった事を夢のような環境でさせてもらえる会社に出会って雇っていただけることになりました。
英会話ラウンジののマネージャー。そしてその会員さまにむけて世界各国のライフスタイルをを発信するイベントを企画、コーディネートするお仕事をやらせてもらうことになりました。私の奇妙なイマジネーション、個性を理解してくれて、雇ってくれたこと。本当に感謝です。
"世界と日本の狭間で"自分に出来る事をしよう。これが私の今やりたいことだったので決まった時に、本当に本当に、本当に嬉しかった。新卒採用枠ではなく、なぜか中途採用枠(なぜ採用条件をよくチェックしなかったのか自分でも謎だけど、結果オーライ苦笑)で応募したので入った初日から(2月からほとんどフルタイムで働いていました)マネージャーと呼ばれる摩訶不思議な環境です。
毎日毎日、出会いがてんこ盛り。
年齢も幅広い会員の皆さまに、外国人スタッフ。異業種の方々。つい先日も、イベントで大使館の外交官の方に来ていただいたり。
そんな風な方向性で社会に出ることになり、日本語より、英語を使う時間が長い日常が始まりました。
メールに電話、同僚とのやりとり。外国人スタッフの採用面接。(この間まで、面接される側だった私が面接官を務めているなんて!)
まさに英語づくし。チリ人、フランス人、アメリカ人、カナダ人、ボリビア人、スペイン人が私の同僚。私の何倍もアドベンチャー好きな彼ら。人生を自由に操るたたくましい軍団の中に入れてもらえて私は幸せだなと思う。3ヶ国語以上話せるみんなといると、私の"言語の普通"がどんどん塗り変えられていく。
彼らと働く日常は本当に楽しい。入った初日から不思議なことに"ああ、ここは私の居場所だ。"って思えていい意味で仕事ということを忘れる。そうやって、オフィシャルとプライベートという垣根と、心の国境がない人々に囲まれていると自分が心からの笑顔で働いていることに気がつく。
この間、いつもジョークしか言わない、10歳も年上なのに永遠心はは小学生フランス人のマーティンが私に少々熱く(というよりかは厚かましいほど熱く笑笑笑、ごめんねマーティン)"みなみ、自分の人生を映画だとしたら自分が監督で、みたい景色、描きたい内容を自由に決めればいいんだよ。どんな映画だったら面白いと思うか考えてそれをセッティングするんだよ!"と彼の人生哲学を私に語ってくれた時、確かになと思った。オーストラリア、ニュージーランド、カナダに一年ずつすみ現在日本でいきている彼の言葉は力強く、納得させられるものがあった。
まあ、話はそれたんだけどドイツから持ち帰ってきた最大のワクワク感をどんどん形にしたいな〜って思って、仕事に、資格の勉強に、韓国語の勉強にとガンガン突っ走っていました。楽しいとアドレナリンがでていて体が疲れを感じない、まさにハイな状態になるのです。ああ、危険。まあ身体疲労に気がつかず、全力疾走してしまったせいで、高熱と中耳炎になったのだと思います。
完全に心にカラダが追いついてこなかったらしい。バランスを崩しました。
まあ、社会人ほやほや(というかまだ数日は学生か)の今、自分のバランスなんて取れるわけもないんですが。足がつかない社会というプール(流れるプールかも)に飛び込んで、必死に溺れないようにじゃばじゃばもがいている現在。いつも自分のことを客観的にみて、"この若造、いろいろもがいていてて青々しいな、はは。"って笑っている。笑
人生の先輩方から聞いた話と自分の勝手な想像だと、この社会という大きなプールでバタ足ができるようになるのが25、6歳くらい。そしてクロール、バタフライ、もしくは自分がしたいような動きがやっとのことでできるようになるのがが30歳くらいかなと。
だから焦らず、もどかしさを受け入れるながらがゆっくりかもしれないけれど進んでいこうと(心では)思っています。(とうせまた、楽しすぎ〜〜!といって気がつかぬうちに全力疾走してしまうのでしょうが。)
そんなわけで、体調を崩したので本来する日にには出発することはできませんでした。どうしても行きたかった私(高熱にうなされている時にいけないかと思って涙が出たほど、本当に。)は熱が下がった朝に航空会社に電話をかけて、無事にフライトの変更に成功。
英語対応だったので、TOIECのリスニングの実践バージョンだ!と勝手に興奮(なぜ)。
無事に一人旅をスタートさせることができました。
【はじめてみるオークランド】
風邪気味で挑む、はじめてのオークランド。ホステルにチェックインをすませて、オークランドの街を初めて歩く。
とりあえず腹ごしらえと思って、近くのパンクなおっちゃんの屋体で購入。
このパイはあまり美味しくはないです。ジンジャーのお酒と一緒に胃の中に流し込みました。強い日差しに揺れる海面とカモメを眺めながらただボーッとしていた。
取りあえず、港を散策。
ケニアのおっちゃんに写真を頼まれた。そのあとになぜかツーショットもおねがいされて、少々会話を。"ありがとう、ディア!(恋人を呼ぶ甘めな感じで、しかもそのあともしばらくディアを連呼。)""あんたのラバーじゃないわ!"と心もち顔をむっとさせ、テクテクと散策続行。
オークランドの海辺付近にはセンスのよいレストランがたくさんあって"羊が人間より多いのんびりライフ"という私のニュージーランドのイメージを時間を追うごとに覆していった。個人的な好みの話しだけれど、ドイツよりもおしゃれだなと思う店が多かった。
そのあと何をしたかは忘れた。
フェリーで対岸のデボンポートに出かけてみました。
海岸が美しくて、どこかヨーロッパ風の景色。
そして見える、少々儚くエモーショナルな夕暮れのオークランド 。
(続く)
Minami
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