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20231027

Kindle unlimitedで科学書と地政学の新書を読む。ぼくには電子書籍の方が読むのが捗るタイプの本があって、科学系と政治系はそれにあてはまる。文章ではなく、情報を入手することに特化して読んでいるからだと思う。文体やレトリックを読むのに、電子書籍は向いていない。そこにあるのは、どこまでいっても「情報」としか言いようのないテキストだからだ。もちろん、優良な科学書にも政治思想の本にも、情報以上のものがあることは言うまでもないが、情報としても摂取できることもまた事実である。それはむしろ利点といったほうがいい。客観的な事実の積み重ねが、多くに読者に共有されて、しかるべき理由で説得的な議論がなされることは、とりわけ科学的な知の素晴らしい点である。逆に言えば、文系的な知は情報という考え方とは相性があまりよくないのかもしれない。科学者やサイエンスライターの書いたエッセイなんかも電子書籍ではなく、紙の本で読みたいという気持ちが湧いてくる。日本ではライターというと、なんだか軽い書き手という印象があるし、実際、世の中にあふれている○○ライターの記事は、ほかの書き手のものと交換しても気づかないような、あまりに形式化されたルールに則って書かれたように見えるものが多い。それは商品としてコスパよくテキストを作成していくという目的からすれば、合理的な最適化の結果なのだろうけど、書き手の面白さには欠ける。欧米のサイエンスライターの質の高さはよく言われるけれど(本当はどうなの?)、ぼくはもっとライターの仕事が格式高いものになったほうがいいと思うし、そうしたテキストが商品として流通する経済圏は作れると思っている。すでに存在するアートライターを否定するわけではないが、もっと本格的なアートライターが必要なのだと思う。ときには情報以上のことが書ける筆力をもった書き手は、いまでは批評や評論家という肩書を着せられることが多いが、そうした状況によって書き手が被る不自由さから、もう少し解放されてもいい。そのときには、私はライターであるとシンプルに名乗ることがかっこいいのではないか。

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