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豊島美術館と心臓音のアーカイブ2016

学部4年生の時、夏休みにはじめて瀬戸内国際芸術祭に行きました。その感想をまとめて、新学期に大学の先生に手渡した長文の一部が、Gメールの下書きに残っていたので、そのまま公開してみます。

ようやく山を越え、下りの中腹まで来たところで、視界が開けた。海まではるか遠く見渡せる場所に豊島美術館は立っているとは到底言い難い。それは緑爽やかな地面に埋まっている。エントランスからは風の通る林の中に慎ましい豪族らの古墳のような、乳白色の流線体が見えるだけである。この豊島美術館も横尾館と同様に一般に建築と呼ばれる類のものではないだろう。モダニズム建築とも強烈な個性を持つ作家による芸術作品とも異なる、やはり豊島の自然との合作であると言えば適切である様な、停滞を恐れない空間を形成する建造物である。入り口と出口を除けば、二つの大きな穴があたかも口と肛門を表現しているかの様にちょうど反対側に開けられている。二つの穴から自然光が内部に入り込み、また同時に雨粒かあるいは植物から滴る水滴が大小の集まりを作っては消えていく。小さな生誕を繰り返す、その空間では皆が座り込み、すっと無常観に浸る。水滴を命に例えるなら、その接合と分離はそのまま生と死を意味しない。生と死ではなく、ちいさな生、あるいはこう言ってもいいかもしれない。漠然とした生ではなく、きわめて私的な生活の中にすでに全自然的な要素が入り込んでいることを直感すること。私の中にすでにあなたが存在するということ。もろんこれは人間対人間のせせこましい関係においてではなく、私に自然(世界)が入り込んでいるということ。さらに言えば、あの空間にはミクロなレベルでのダイナミズムがある。確かに人間の私たちの目からすれば、スタティックな空間性を感じさせるし、それも一つの魅力だろう。しかし、私たちの見えないレベルでは静的な停滞などしておらず、常に生成変化の運動が起きている。自然のサイクルに沿った方法ですべてが移り変わっていく。豊島美術館が美術館である以前にある建造物として無類に心地よい空間であることの理由はおそらくこのあたりにあるのだろう。芸術家と建築家のコラボには何かの芸術家の本質をえぐり出す効果があるのかもしれない。いずれにせよ、内藤礼に対するイメージを刷新する空間であることは間違いない。あまりにも東京の美術館との建設意図のギャップを感じるとともに、豊島美術館でちいさな鼓動に耳を傾ける、そんな余裕は残念ながらこの瀬戸内海にしかないだろうとも思う。

移動パン屋でソーセージパンとチーズオニオンパンを購入し、しばし休憩。陽は高い。

豊島の家浦港から徒歩で横断し、端にあるボルタンスキー《心臓音のアーカイブ》までたどり着いたのは午後3時。薬局風のちいさな建物と目の前には海岸が広がっている。エントランスを過ぎると、白衣を着た女性が2人。受付でインスタレーションと心臓音録音の説明を受ける。早速インスタレーションの部屋に入ると、部屋全体に鳴り渡る誰かの心臓音のビートに合わせて、真っ暗闇を中央のランプが点滅する。四方の壁には何かの破片らしきガラス?が貼られていて、ランプの点滅に合わせて、そのガラスに自分の姿が映る。そして誰かのビートが「出て行け」と言わんばかりに鼓膜を震わせる。思えば、このインスタレーションは作品全体のほんのわずかな表面であり、その背後には心臓音という生命の鼓動そのものを貯蔵保存する巨大なアーカイブが存在している。したがってむしろ作品本体はアーカイブにあると言っていいだろう。それは展示とコレクションという近代的な美術館モデルを模倣するかのような設計がなされている訳だが、しかしここでコレクションされるのは私たちの心臓音である。私の死の後も止むことのない私の心臓音は、まさに芸術作品の持つ永続性がアーカイブとほとんど同義ものであることを示している。だとすれば、生と死を乗り越えることを可能にする、徹底的な第三者の視点に立つ制作者を、私たちは一瞬のうち、神と見紛うのかもしれない。自分の心臓音の速さに驚きながら、深く呼吸をする。あとは高松に戻るだけだ。振り返り、出口を抜けると、彼岸へと私たちを導くような浅く遠い海岸線が広がっていた。

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