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結果発表:ウィークリーぱか詠み第9回『ヤエノムテキorサクラチヨノオーorメジロアルダン』



はじめに

こんにちは、今週は南の柳が担当します。

さて、お題がヤエノムテキ、サクラチヨノオー、メジロアルダンの3名ということで、史実においてはオグリキャップと同期のクラシックレースで鎬を削りあいながらも、オグリキャップ(とタマモクロス)の陰に隠れていまいち目立てなかった、というやや残念な境遇の世代という印象です。

ウマ娘でも、この辺の世代はやっぱりオグリキャップを中心に回っています。その辺はアプリの育成ストーリーや漫画「ウマ娘シンデレラグレイ」から読み取れますが、その中でも特にこの3人はつながりが強く描かれています。詳しくはストーリーに触れてみてください。

ソロ曲も3人で同じCDに収録されましたし、ウマ娘のデフォルトの並び方(アプリとか公式サイトで並べるときに見られる順番)でもこの3人は並んでいる……と思いきや、シリウスシンボリが挟まっています。どうして?

個人的に、ウマ娘の中でも特に好きな三人組ですので、もしかするとまたこのお題は見ることになるかもしれません。もしくは私が勝手に連作をやります。

さて、今回お寄せいただいたのはこちらです。

ありがとうございました!

メジロアルダンで2首お寄せいただきました。前回の結果発表で、藤井柊太さんが「短歌にしやすいキャラクターとそうでないキャラクターがいる」とおっしゃっていましたが、今回もそういった影響がはたらいたのかもしれませんね。まあ、2名の参加でしたので偶然な気もするけど。

メジロアルダンといえば、生まれついての脚の脆さから『ガラスの脚』と評され、いつ走ることが出来なくなるかわからないがゆえに、目の前のレースに全身全霊をもって臨むという覚悟を背負ったウマ娘です。姉にメジロラモーヌを持ち、その威光の強さからどうしても「メジロラモーヌの妹」と呼ばれてしまうことが多く、それを自らの走りで覆し「メジロアルダン」の名を歴史に刻むことを悲願としています。

と、ちょっとしたキャラクター紹介を挟んだところで、結果発表に移らせていただきます。

結果発表

第2位

陽の下にひかる硝子の青い鳥 時経て海を越えても永遠とわ

5Pt キマユ

モチーフ:メジロアルダン
コメント:青い鳥は固有スキルの映像からです。下の句は史実の競走馬が中国にわたって血をつないだこともモチーフにしました。

 まずはコメントの解説から入らせていただきますが、固有スキルの演出はトレセン学園生徒紹介でちょっとだけ見られます。

 そして、中国にて血統を繋いだという点は、Wikipediaにはこう書かれています。

母ヤマニンディライトの2002年産馬Wu Di(中国語:无敌/無敵)が種牡馬入りしており、2015年に中国馬業協会により「最優秀種牡馬」を受賞している(同賞は統計に基づかない為、厳密にはリーディングサイアーと異なる)

勉強になりました。

 上の句は固有スキルの演出から着想を得たそうですが、それを考慮せずとも同じような意味合いに取れるのではないかと。そのくらいしっかりとした描かれ方をしています。おそらく『硝子』とはメジロアルダンを指しているのでしょうが、その『硝子』でできた『青い鳥』が『陽の下』で輝いているという、実景が分かりやすい描写です。皆さんはここで初めて固有スキルがモチーフになっていると知ったことでしょうが、そうでなくとも固有スキルの演出を思い出した方は多かろうと思います。
 さて、少し調べた感じだと、『青い鳥』の明確な元ネタはどうやら無さそうです。つまり、(モチーフがあるということを抜きにして、生まれた結果としての)ウマ娘のメジロアルダン自身についてフォーカスされたものであるのでしょう。
 そこで固有スキルを詳しく見ていくと、ガラスの青い鳥が飛び立った後にツバメが後を追いかけていく演出があります。ツバメといえば日本で越冬する様子をときおり見かけますが、これはその「冬を越える」という意匠、ひいては春=明るく、暖かい始まりの季節の到来の意味なのではないかと思います。
 それ自体は(雪解け、など派生した表現も含めて)よくある表現ですが、冬を越えるということは春が来るということであり、競馬がモチーフのウマ娘において、クラシックレースに代表される戦いの始まりとしてよく使われる表現です。(サクラローレルやメジロブライトのキャラクターストーリーなどで見られます)
 つまり、『硝子』で作られた動けないはずの『青い鳥』が、『陽の下』に飛び立って確かな春の訪れ、メジロアルダンにとって存分に『ひかる』ことができる瞬間が来た、ということかなと解釈しました。
 さらに下の句『時経て海を越えても永遠とわに』からは、メジロアルダンの悲願であった「その名を歴史に刻む」ことができたのだということが推測されます。文末が省略されている、というよりは倒置法(おそらく正確にはその両方)で『ひかる』につながっているのでしょう。
 コメントにある通り、中国で血統を繋いだことがモチーフにされているようですが、それは史実もある程度は重視しているということであり、そうしてみると『時経て』は、30年以上前の競走馬がウマ娘として現代でまた注目を浴びている、ということにも読めます。意図されたものではないでしょうし、かなりメタ的ではありますが、ウマ娘というコンテンツそのものを内包していて面白いと思いました。
 その意味合いより、上の句は現役時代の輝き、下の句は後から語られた(伝記的な)輝きという側面をもっていて、メジロアルダンとその目指すところをよく表していると思います。ぱっと見てストレートに意味合いを受け取ることが出来つつ、詳しく見ていくことでそこにある細かな意匠も見つけることのできる、非常に洗練された一首だったのではないでしょうか。
 ただ一つ個人的に惜しいな、と思った点がありました。それが『時経て』の部分。
 『時経て海を越えて』は目的語(時/海)と動詞(経て/越えて)の組み合わせのリフレインですが、「時経て」としなかったことでリフレインが完璧なものでは無くなってしまっています。おそらく、完全に定型に収めるためにカットしたところでしょうが、「時を経て海を」と8音にしても(「を」が半母音であるおかげか)そこまで違和感はないので、このあたりは少し惜しかったように思いました。ただ、ここに強いこだわりや明確な意図、込めたモチーフなどあったら申し訳ありません。
 ただ、それを入れても個人的に非常に好きな一首でした。

第1位

蹄跡に散らばっている瑠璃の粒 確かにそこで煌めいていた

9Pt 蒼豆
1着おめでとうございます!

モチーフ:メジロアルダン
コメント:歴史や考古学は過去の人々の足跡から「歴史」という物語を紡いでいきます。語るためのものは古文書であったり、土器であったり、石器であったり……時に、破砕まで(これらの史料は批判的に見る必要があるが)。未来のために今を生きるというのはこの作品のの根幹ですが、それが強く現れているのはアルダンなのかなと思います。そんな煌めきを未来の人が確かに受け取ってくれているという思いを込めて。

 メジロアルダンのあれこれについては先に語った通りですが、歌全体の語彙とかコメントとかから、この歌でも彼女の「歴史に自分の名を刻む」という悲願にフォーカスしているように思います。そして
 さて、ウマ娘のストーリーではしばしば「レースの舞台は過酷であり、その脚には強い負担がかかっている」ということが強調されます。育成ストーリーなどにて、それなりの頻度で見かける話ですが、もちろんメジロアルダンも例外ではありません。
 いくらケアしようと、無理をせずにいようと、ガラスの脚にダメージは溜まっていきます。そうして、脚が砕けながらも走った『蹄跡』に、そのガラスの脚の砕けた破片、すなわち『瑠璃の粒』が『散らばっている』という場景を上の句からは受け取りました。『瑠璃』には色々な意味がありますが、今回はガラス、ガラス工芸品の呼び方としての意味と取りました。
 ところで、ガラスにはいくつか種類があって、それによって特徴や割れ方に違いが生じるのを皆さんはご存じでしょうか。
 例えば、普通のガラスは割れたら鋭利な角をもつ大きな破片に割れるのに対し、網ガラスはそれより弱い力で割れてしまうものの、割れたガラスが飛び散らないというメリットを抱えていて、その性質から防火ガラスとして用いられるそうです。
 そして、細かく砕けるガラスとして特徴的なのが「強化ガラス」です。強化ガラスとはその名の通り、通常のガラスよりも耐久性、耐熱性に優れていて、その強度は一般のものより3~5倍ほどだそう。
 つまり、蹄跡に粒として砕けたガラスが落ちていることは、メジロアルダンの脚がガラスであろうともその強さの証明になるのではないかと思います。とはいえ、強化ガラスはどこかが砕けると全体が一度に砕けてしまうのでこじつけではありますが。もしくは、ガラスに覆われた、メジロアルダンとして真の強さを持った脚、もしくはその境地に達したのかもしれません。
 とはいえ、おそらく意図されてないこと、もしくは私の読み違えですので妄言には過ぎませんがね。
 そして下の句は、その蹄跡(その字の通りの蹄跡ではなく、後世から見たメジロアルダンの歴史を例えた、伝記的な意味でしょう)に散らばった輝きを、後世に人々が見つけて、その輝きに思いを馳せているということなのだと思います。今の時代にこうして、我々がウマ娘を通してその時代の競走馬に思いを馳せていること自体がその実例でしょう。
 未来のために今を生きた彼女に、未来で我々が彼女の生きた今に思いを馳せる。メジロアルダンを通して、我々がウマ娘という作品に触れること自体に意味合いを模索するような歌だと感じました。

総評

今回は2首とも、かなり同じところを見据えて詠まれた歌だと思いました。(ゆえに後者が少し短くなってしまいまして申し訳ないです)それはメジロアルダンの持つ一貫性か、それとも魅力的に映るキャラクター性が故か。まあ正直その辺はお二人それぞれに思いがあるのでしょうが。

そういえば、定型に収まってましたね。メジロアルダンがスタンダードなキャラクターであることがそこに関わっていたりしたら面白いと思います。

とはいえ、強い覚悟とそれが生み出す確かな煌めきは、短歌という精神性や人間性が反映されやすい(個人の所感)ところでは形に起こしやすそうなキャラクターでもありそうな気もします。その育成ストーリーも途中で分岐があり、それによって少し違った、しかし根底は共通した物語を見られますので、よかったらより詳しく掘り下げてみてください。

ところで、冒頭にも述べた通り、メジロアルダンは他のキャラクターとのかかわりも深いキャラクターですので、そこに着目して詠んでみるのも面白いと思いますね、「シンデレラグレイ」でもまだ掘り下げられそうな展開ですし(単行本勢)、またどこかで同じお題を出すときは、少し違ったテイストの歌もあるかもしれません。

次回のお題

次回のお題は
『イクノディクタス/サイレンススズカ/メイショウドトウ』です。

次回は中京記念ですが、関連するモチーフ元競走馬がいないので
「中京」から「金鯱賞」へ注目してこの3名をお題にさせていただきます。
タップダンスシチーは掘り下げの少なさを鑑みて今回はお休み。

短歌の締め切りは 7/21(金) 23:59
投票の締め切りは 7/23(日) 12:00です。ぜひご参加ください。

『ウィークリーぱか詠み』についてはこちらから。

『ぱかたんか』について、詳しくはこちらをご確認ください。

それでは第11回でお会いしましょう。

南の柳

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