閾値を超える

私の小さな花園を決して荒らされたくない。

変化に対応できなければ負けると分かっていても、かつての経験に縋る。変われなければ成長はないと分かっていても、昨日を繰り返す。永遠に続くわけではないと分かっていても、私は昨日の続きを求める。
失敗すれば恥ずかしいことを知っているから、堅実な方法を選ぶ。今の心地よさを知っているから、この生活を続ける。もうすぐ終わることを知っているから、この時だけは手放せない。

人間が変化を嫌うなんて、おかしな話だと思っていた。変化せずに生きていくなんて無理だから、私も変化を受け入れられていると思っていた。変化したがらないのは年を多く重ねてきた人たちで、私はそうならないと、何故か信じていた。

けれど気の向くままに進んできたら、やっぱり私も普通の人間なんだと気づかされた。いつも通る道を、時間に制約のない週末でも選ぶ。両脇に知らない場所が溢れているのに、私は唯一知っているこの道を歩く。過去にやった時に上手くいったから、今日もこれが上手くいく。そう考えて同じ手段を選ぶ。
成功したものを繰り返すことで、効率がよくなっているのだと思っていた。人間は試行錯誤する生き物だから、成功例を選んで慣れていくのは成長の証だと。けれど、気づいてしまった。慣れは、ある閾値を超えてからは停滞と同じだということに。

慣れ。繰り返す。同じことを。何度も、何度も。戸惑いが薄れて、体が無意識に動くようになる。成長だ。そう思っていた。

停滞。止まっている。ストップ。動かない。留まる。体がなまる。頭もなまる。終わりかけ。いや、終わっていた。

閾値を超えたことに気づかなかった。振り返っても、どこで超えたのかが分からない。

まさか、今日も何かの閾値を超える日なのか?
小さな明るい花園の花壇の間から、不安が鎌首をもたげた。

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