人の組み合わせはたくさんあるからさ

 運命の出会いが存在する代わりに、絶望的に合わない人もいると思うんだ。

 きっと仲良くできるんじゃないかな、話が合って盛り上がるんじゃないかな、とかねてより思っていた二人が合わなかったらしい。ということが起きた。
 その場に居合わせた人づてに聞いた話である。片方が帰った後に、残った方が『あの人は自分と合わないな』と言っていたとのこと。

 自分に人を見る目が備わっていないと言うのも事実だが、どうやら二人に対して理に適わない見方をしていたのかも知れない、と思い至る。

 どっちも癖はあるが、基本的に誰とでも親しくできる『善い人』だ。だから、オトナな対応で卒なくいろんな人と交流できるに違いない。故に、二人が出会えば上手く行く。

 こんな見方をしていた。だが冷静に考えて、これはお粗末な理論だ。というか、まるで脳内がお花畑だ。今日までの自分について考えてみれば、枚挙にいとまがないほど、自分と『合わない人』というのがいた。それなのに、自分の周りの『善い人』達を十把一絡げに、まるで聖人君子のように誰とでも仲良くできると思うなんて、かなりヤバい考え方だ。
 これ、自分以外の人を『ひとりの人間』として見ていないということでは?自分と同様に、様々な感情をその時々に抱き、好き嫌いを持ち、気の持ち様が異なるということを、きちんと理解していただろうか。そして、リスペクトしていただろうか?

 相手の立場に立って物事を考えられます、というのは自己アピールでよく使われる表現であるが、もしかして、これは意外と難しいのかも。……いや、これが難しいことだと感じるかどうかも、人それぞれか。とにかく、本件で世界には山のような『合う人、合わない人』の組み合わせが存在することを再認識した。

 仲良くなればいいのにな、と自分勝手に考えていた二人が合わないことが分かった今日。この先、彼らが一堂に会した際に一体自分はどんな顔をして仲介すればいいのだろう?そんな懸念が一つ増えてしまったが、それはまたその時に考えるしかない。
 とりあえずは、自分の無意識の中にあるお花畑的考えが少し軌道修正したことに感謝である。

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