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【読書日記】 白銀の墟 玄の月

十二国記シリーズ 「白銀の墟 玄の月」 小野不由美
読了。

※ネタバレ無視して気持ちだけで書きます。まだ読んでいない方、ネタバレされたくない方はご注意ください。

十二国記という名前だけあって、このファンタジーはただの冒険モノ、戦いモノじゃない。「国」こそがテーマであり、そこに住まう「人」が物語となっていく。
始めこそ設定ありきと思うけれど、そのストーリーは壮大かつ緻密で一体いつからこの細かい内容は作者の中にあったの?と思う。シリーズの始まりは約30年前。その時点で「魔性の子」として戴の不穏な気配がすでにつくられている。
なぜ、戴麒は6年も国を離れなくてはならなかったのか。
その謎がついに明かされる…
その謎が明かされる過程で、戴王を襲った阿選の苦悩も描かれる。
その苦悩は実に「人間的」で、どこかで一つ掛け違えていたならば…と思わせる哀しさがある。

王は天命を受けた麒麟に寄って選ばれる、というその設定にも関わらず、失道する王もいるし、過ちを犯す王もいる…
そして麒麟は慈悲の生き物であり、それは半分獣、そして妖魔を使役することができる…と奇蹟の生き物であるにも関わらず、
この「白銀の墟玄の月」における麒麟のなんと、策略的で、無慈悲で冷徹で冷静なこと…その人間らしさは彼が「蓬莱」(私たちの住む世界)で育ったからこそ培われたものといえる。
「奇蹟」の連続がファンタジーにはつきものだけれど、この「白銀の墟 玄の月」では奇蹟は起こらない。

「黄昏の岸 暁の天」において「天」に頼らない、と決めた李斎。けれどもその道のりは苦難の連続。やっと取り戻した戴麒は姿を消す。王はなかなか見つからない。目の前で命を落としてゆく民。自分は王を驍宗だと信じているが、民にとってはこの荒れ果てた戴を立て直してくれる人がいればいいだけのこと。
戴麒は戴麒で、いち早く民を救うために策略を練るも思うように進まない。いつも一枚上手の敵。足を引っ張ろうとする者。麒麟としての力のない自分。
しかし、麒麟としての力を越えていく戴麒に、奇蹟以上の奇蹟を見せられた気がする。麒麟としての性質を越え、意思の力で乗り越えていく戴麒はこのシリーズに出て来た他のどの麒麟よりも魅力的でかっこいい。

「ラストは何回読んでも面白いわ~」は、先にシリーズを読み終えていた息子の言葉。
私がシリーズ最終巻を読んでは、近くに置いていたら必ず横からさらって、読みふける。
確かに最後の最後で起きる奇蹟はそれまでのうまくいかなかったこと全てを覆すように、気持ちをさらっていってくれる。

奇蹟を起こす麒麟や王ばかりでなく、その周囲にいて自分の王をこの人と決めた軍人や官吏の想い。軍人にとっては、天命は見えない、感じない。ただ、その人を主と決め、従っていく。時に間違っていると感じる命令も、その人のために、と遂行する。その者たちの苦悩。
そして、軍人ばかりでない、寺院の人や民、そしてこのシリーズにおいて、問題の種、根源とされていて土匪と呼ばれる、異分子たちの物語も描かれる。みんな、それぞれがいて、国が作られ、その者達のために国はある。
自ら選び、信じて、行動し、生き抜いていく。

エンタメとしてだけでなく、大人にとって大切なものも教わる、物語でした。


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