【ドラマ感想】海街チャチャチャ 最終回まで
天寿を全うした人のお葬式は、和やかだ。
もちろん、親しい人を失くす寂しさは、あちらこちらに潜んでいるけれど
それでも、若くして亡くなった人のお葬式に比べれば
見送る人たちは、心穏やかに、その人が天で見守っていてくれることを
真っ直ぐに思っていられる。
亡くなったその人の思い出話を交わしながら、穏やかに食事をとり、
見送ることができる。
私が初めて経験したお葬式はおばあちゃんだった。
天寿を全う、とまではいかない年齢だったが、
数ヶ月の闘病生活を終えて、迎えたそのお葬式は
しめやかながら、みな落ち着いていた。
その翌年、近所に住む同級生のお母さんが亡くなったとき、
同級生とは会えば言葉を交わす関係性で、
同じ町内の公会堂で葬儀が行われる、友人も参列する、というので
揃っていくことにした。
行って私は後悔した。
自分は大馬鹿者だ、と思った。
前に肩を落とす同級生を見て、軽々しく来た自分を殴ってやりたくなった。
浅はかな自分が恥ずかしくて、帰って私は両親の前で大泣きした。
悲しくて泣いたんじゃない。
恥ずかしくて泣いた。
両親の前で泣ける自分がどれほど幸せか、
泣いてしまう自分にもさらに恥ずかしさが募った。
若くして亡くなった人のお葬式は悲痛だ。
そこかしこに悲鳴が隠れている。
ホン班長を優しく、「息子や孫」のように見守っていてくれたガムニおばあさんが
亡くなった。
身寄りがなく、辛い経験をした孤独なホン班長を見守り、支えてきたコンジンの人たちの代表格が、ガムニおばあさんだった。
ホン班長の食事を心配し、寄り添い、励ましてきた優しいおばあさん。
彼女をみていたら、歳を取るのはちっとも怖くない。
「毎日が遠足の前日のようだ」
「明日は何をしようか」
そんなふうに歳を重ねたいと思う。人に関わり、人に世話をやき、世話を焼かれ、穏やかに毎日を過ごす。美味しいものをたくさん食べて、誰かの心配をし、誰かに心配される。
身近な人をいつも突然に亡くしてきたホン班長はいつもその死をきちんと悲しめずにいた。大切な人の死をいつもどこか自分のせいにして、その死を悲しむことに負い目を感じていた。
ガムニおばあさんの死は、天寿の全うであり、その人生を大いに楽しんだ彼女の死を、ただただ「寂しい」「悲しい」と悼むことで、ホン班長はやっと、これまで亡くしてきた人たちの死をもきちんと悼むことができたんじゃないだろうか。
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年々、私も周りに世話を焼きたくなってきた。
近所の子どもには、声をかけたいし、見守りたい。
疎ましがられて、自分の子に害が及ぶことは避けたいので
距離感を図ってはいるが、
ついつい声をかけたくなってしまう。
幼い頃から見ていた子がランドセルを背負って歩き始めると、
ついつい微笑ましく、声をかけてしまう。
「おはよう」
「行ってらっしゃい」
「偉いね」
コンジンの人ほどなかなか踏み込んでいけないが、
自分の一歩がどこかで役立つこともあるといいな、と思う。
自分が見知らぬ街にきて、子育てをして寂しいこともあった。
声をかけられて、些細なことでも、救われたこと、気持ちが軽くなったこと、
明るい気持ちになったことが少なからずある。
人と人との間の距離感が私には昔から難しいのだけれど、
コンジンの人々を見ていて、
人と触れ合うことってやっぱりいいなあと
ほのぼの思う今日この頃だった。
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