「ペンギンの憂鬱」を読みながら思った事

「ペンギンの憂鬱」を読みながら思った事
ヴィクトルはしきりに「疑似家族」について考えている。
そう言えば某国営放送の朝ドラでも、「おちょやん」は疑似家族に支えを見つけ、大団円へと向かっている。
ヴィクトルは、ソ連邦という大家族が崩壊に向かう中で、家族回帰へと向かう。
これは永遠のテーマなのだろうか?
そう言えば、一時離婚大国アメリカで「家族」を打ち出した映画が大流行したことがあったなあ。
戦後復興からNew family、my home papa を経てバブルに突入しdinksという子供を生まないfamilyの形の後、オームなどという悪しき疑似家族へと突っ走ってしまった日本人。
結局人間は社会的動物だから一人では生きられない。

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