推しの才能

「推し」

最近当たり前のように認知されるようになった言葉。私はこの言葉がコンプレックスだ。

「推し」とはつまり、何か(キャラクターや人間)を推しているという意味なのだが、私には何かを推す才能がない。

好きな作品はあるが、「推し」と呼べるのほど好きかと言われればそうでもない。この作品の中だったらこのキャラが好きかなぁと聞かれれば答えるレベル。

そして私は同様に「オタク」の才能もない。
一昔前は「アニメをたくさん見ていて秋葉原に通っている人」が「オタク」とされていたが、今はもっとライトに「オタク」がたくさんいる。

「オタク」は何かを特別詳しい人を指すと最近は認識している。アニメオタクだけでなく歴史オタクやら建築オタク、キャンプオタクなんて人もたくさんいる。

それはすなわち、何かに興味を持ち愛する才能だと思う。

私にはそれがとても薄い。
そのことがとてもコンプレックスである。

何かに興味を持つことはあるけれど、オタクと名乗れるほどではない。人並みかそれより少し上くらいで、発売日を待ち遠しく待って並んだり、遠方に出かけたりするほどでもない。

それにお金を使うことも、ちゃんと惜しむ。

友達のコナンオタクがグッズを見ながら「オタクは絶対買うって分かってるからこんなグッズ出すんだよな、まあ買うんだけどさ!」と怒りながら大量のグッズをカゴに入れているのを見て「納得行ってないなら買わなきゃいいのに、、」と思ってしまう。

この感覚がわからない。
普通に「置くスペースないからな」と思ってしまう。

悔しさなのか、興味なのかはわからないが
有名なアニメ作品は結構見てきたと思う。それでも世間が熱狂するほどの感覚を得られなかった。

「推しがいると毎日楽しい!」と言っている人が心の底から羨ましい。

いろいろ見てみたけれど、私には才能がないんだと気が付かされるばかりで。

二次元のキャラクターも全くわからないが、人間を推す感覚もよくわからない。
アイドルを見ればかっこいいと思うけれど、それ以上でもそれ以下でもない。だってこの人も人間だし、、と思ってしまう。

人間に全責任を負わせるのが怖いのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?