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私の過去に撮った写真は「止まっている」

最近、知り合いに「みなみの撮る写真は人の温もりを感じられるから好き」「みなみの誠実さが写真から感じられるから好き」と、立て続けに言ってもらえてすごく嬉しかったです🤭写真に自分らしさを投影できていたり、私だから撮れる写真を伝達できていたりすることが、まさに自分の撮りたい写真なので。誰もが撮れる写真、真似できる写真は撮りたくないので、ほかの人から見ても私の写真は私らしい写真なんだなーと、ちょっとほくそ笑みました。そして、自分のタイミング(=自分らしさが一番詰まる時間)でシャッターを切り、写真と向き合って形にできているんだな〜と改めて認識できました。

私はよく過去に撮った写真を振り返るのですが、始めたての時の写真を振り返ると、今撮る写真と全く違うことに気がつきました。それは、過去の写真が「止まっている」ことです。もともと写真は止まっているのが当たり前なんですが、ここで言う「止まっている」は、写真にストーリーや自分らしさが感じられないということです。

始めたての頃は、どんな所に行っても何もかもが目新しくて、パシャパシャあまり考えずに撮っていたからかなーと思います。当時、私なりに色々考えてはいたのですが、やはり今ほど「一瞬」にこだわっていなかったので。止まっている写真が良いか悪いかという問題ではなく、私は自分の撮りたい写真がどういうものか、そしてそれにどれだけ近づけているかを常に考えているので、当時の写真は理想とはかけ離れた写真だと感じるわけです。また、写真を始めたての頃の「良い写真」の判断も今と全く違うので、当時は良い写真だと思わなかった写真が、今見るととても良い写真だったりして、感性の変化、みたいなものも感じます。

私はnoteを始めて一番最初の記事に、
「パリに行ったとしてもエッフェル塔を撮るというよりも、その麓にいる人たちの日常を撮りたい」というニュアンスのことを書きました。どんな写真を撮りたいかの自分の軸は最初からぶれていないのだなと思います。ただ、それを形にできるか。止まった写真を撮っていた過去を経て、段々この理想に近づく写真を撮れるようになってきているのを実感しています。

なぜこのような写真を撮れるようになってきたのか、割と自分の中では答えが明確に出ております。それはそれはとてもシンプルで、「自分の感性に耳をとぎ澄ましているから」です。少しでもザワッとしたらレンズを向ける。そして、その瞬間を待ち続け、捉える。簡単に言えば直感なのですが、直感という一言で片付けるほど軽くはない。そんな感じです。うまく言語化できている自信がない…

久々に文章を書いたのでぐちゃぐちゃな気がしますが、私のnoteはそれで良いのです🫠書きたいことたっくさんあるんだけどなぁ。文字に起こすのが難しいですねっ。

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