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継続は苦しい、でも好きだから継続しようと努力する

最近、仲の良い同期と話していたんです。
継続することって苦しいよね、って。
好きなことでも苦しいよね、って。
でも、好きだから継続しようって思えるよね、って。

その同期は短歌のフィールドで頑張っている人で、お互い苦しくなった時に話を聞き合える、とても良い友人です。

物事の捉え方、日常を捕まえる感性が似ているので話していて盛り上がります。違うフィールドでお互い頑張っているので、変なライバル意識も全く生まれないし、ちょうど良い距離感が心地よいです。

そんな同期と、少し前に2人で喫茶店で話したのが、冒頭で言った「継続することの苦しさ」です。

私も、彼も、本格的に写真、短歌の活動を初めて1年少し経ち、ありがたいことに多くの人の目に留まるようになりました。

そうすると、やはり湧いてくるのが批判する人たち。見ないように努力しているし、そういう人たちがマイノリティというのも理解はしているけれど、その人たちの言葉って思った以上に心が抉られるんですよね。いくらプラスの言葉が周りを囲んでくれていても、ど真ん中に落とし穴を掘られた気持ちになります。だから、同じ境遇で同じ感性を持つ友人とのひとときは、良いガス抜きになります。作られてしまった落とし穴に土を入れてくれます。周りに、クリエイターとして活動している同世代が少ないので、これからも頼ろうと思っています。

さて、継続の話ですね。
継続って本当に難しいと思います。心の底から好きじゃないと長くは続かない。好きでも続かないこともあるし。

人間誰しも波の高さは違えど、気持ちのアップダウンがあると思います。ダウンの状態でも発信をし続けるのって、好きなことでもエネルギーをとてもとても消費します。特に、見てくださる方が増えれば増えるほどそれを意識してしまうから。発信だけでなく、写真を撮ること自体苦しいこともある。言ってしまえば生きることですら辛いことが、歳を重ねると出てくるんだなと思います。だから、継続することって苦しいんです。でも、好きなことだから継続しようって思うんです。

カメラを始めて最初の方は、カメラや写真の良さについて、それっぽいことを語っていた人でも、1年も経てばカメラからあっさりと遠ざかっていることがあります。あんなに言葉を紡いで写真について語っていたのに…と心がぐちゃぐちゃします。と同時に、やっぱりそんなものか、と言うある一種の諦観みたいな感情も生まれます。それっぽいことを言うのって、自分を酔わせるんですよね。それだけにはなりたくない。

私もカメラや写真についてはまだまだの所がたくさんありますし、自分は底辺にいるから今後は成長しかない思っています。だからこそ、それっぽいことを言う、浅い所で終わるような人にはなりたくないな、と。

泥臭く写真やカメラと向き合って、感性をもっともっともっともっと磨いて、鋭くなって、誰にも真似できない空気感を出せる写真を撮って、心の底から語ってやろうと思います。

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