見せたい顔を見せれば良い
note上の私の名前は「南葦ミト」ですが、一体どんな人物に見えますか? 育児雑記を書いてる人? 小説を書いた人? 真面目な人? 不真面目な人? 明るい人? 暗い人? 見る人の数だけ違う印象があるだろうし、そのどれもが正解で、でも完璧には私を表せない。多分、永遠に。
実生活では一児の母であり、夫の妻であり、福島の実家の両親の娘であり、夫の実家から見れば義理の娘であり、誰かの友人であり、同僚であり、先輩であり、後輩であり、隣人であり、そりゃあもう沢山、いろんな関係性があります。
そして私はその関係性に応じて「顔」を使い分けているわけです。え、当たり前? そう、当たり前だと思います。でも最近、インターネット上のやりとりを見ていて、他人に対して過度な一貫性を求めてる人が多いように感じたんですよね。
で、思ったんです。別にいいじゃない、って。その人が意識高かろうが、キラキラしようが、毒吐こうが、愚痴ろうが、何したって。それがその人の全てじゃないんだから。
インスタ映えする美しい写真を見て「どうせこの人だって裏の顔がある」と勘繰る人もいるみたいですが、そんなの当たり前じゃないですか。何を今更。
笑顔の人に悩みが無いわけじゃない。
悩んでいる人が笑わないわけじゃない。
その場所で見せたい顔を見せているだけでしょう。
私だって、実生活の中で不満や葛藤が無いわけじゃない。でも、noteやtwitterで見せる顔は、やさしくありたい。そうあろうと自分で決めたからです。詳しくは投稿第一号のこの記事をご覧ください。拙い文字列ですが、この記事こそ私の行動指針です。
南葦だって、愚痴を書くことがあるじゃないか。そう思う方もいらっしゃるかもしれませんね。ええ、あります。私も完璧じゃありませんから。
でもたった一つ絶対に守ると決めているのは、一方的な悪口にならないように、ということ。
それさえ守っていれば誰だって、どんな顔を見せても、どんな発言をしても、何を表現してもいいんじゃないかな。
その日、その時、その場所で、見せたい顔を見せれば良い。
みんな、もっと、自由に。
応援してくださるそのお気持ちだけで、十分ありがたいのです^_^