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『青い鳥より』、あるいはトロワアンジュという光


はじめに

 ライブイベント『Re:ステージ!PRISM☆FESTIVAL vol.1 -Resistance-』開催の発表後、会場の規模からみてもフラスタは受け付けてもらえるだろうと思っていたので、どんなフラスタにしようかと考えた結果、やはり最新曲の『青い鳥より』をモチーフにするのがいいと思い至った。
 この時はぼんやりと「フラスタから枝を出して青い鳥(を象った飾り)を止まらせるのはどうかな」などと雑にイメージしていたが、中途半端な解釈でなんとなく作ったのではあまりに失礼だし、薄っぺらいものしか出来ないだろう。自分なりにであってももっと楽曲を反芻し消化しないといけないと思い直した。
 そういった経緯などを書き留めておこうと考え、その前段として『青い鳥より』に触れておこうとしたら、思いのほか長くなってしまったため記事を分けることにした。

戯曲『青い鳥』を読む

 トロワアンジュが唄う歌は、巨きなテーマを扱うことが多い。
ただテーマは普遍的かつ遠大であっても、その歌はずっと「あなた」や「キミ」と呼ばれる(不特定の)個人という小さな存在に向けられたものであるから、聴く者の耳に、胸に、限りなく優しく沁み込んでくる。
『青い鳥より』も例にもれず、そんな優しい歌である。

 「青い鳥」と聞いて誰もが思い浮かべるのは、メーテルリンク作の戯曲『青い鳥(原題:L'Oiseau bleu)』であろう。

Maurice Maeterlinck 『L'Oiseau bleu』初版本の表紙

 祝い花をどのようなものにするか考えるにあたって、まずはこの戯曲を読むことから始めることにした。名前だけは誰でも知っている物語だが、童話でなく童話劇の戯曲であることを僕は知らなかったし、物語の内容もなんとなく大きな流れでしか知らなかったからだ。

 クリスマスイブの夜、貧しい木こりの家の兄妹であるチルチルとミチルが、妖女に頼まれ、病気だという妖女の娘の「幸せになりたい」という願いのために青い鳥を探して旅をするという夢物語で、子ども向けの童話劇である。

 チルチルが妖女にもらった帽子に付いているダイヤモンドを回すと、普段は目に見えないものが見えるようになり、不可知のものと言葉を交わすこともできるようになる。この時、チルチルとミチルの家で飼っていた犬のチロー、猫のチレット、炉の「火」、水道の「水」、焼いた「パン」、「砂糖」、「牛乳」、そしてランプの中で灯っていた「光」らが人のような姿を得て、兄妹と共に青い鳥を探す旅に出るのである。 

 僕はこれを読む前はずっと、チルチルとミチルのふたりだけで旅をする物語だと思っていたので、意外だった。そしてその旅の中でチルチルとミチルを導く役目を担う「光」という存在が、ひときわ特別に描かれていることが強烈に印象に残ったのである。

 「光」や「照らす」といったワードは、トロワアンジュの曲の歌詞の中に頻繁に登場する。例えば以下のようなもの。

ひとつ胸の奥に宿った光
それは恋を初めて知ったあの日から
ひとり暗い道を歩いている私を
手助ける天使の光

作詞:高瀬愛虹 |トロワアンジュ『エンゼルランプ』より

歩くことに疲れない人はいない 大丈夫
涙も見せるため流れる 泣いていいよ
キミのヒカリを(明日に)繋いでいくよ(灯すよ)
居場所はすぐ近くに… 取り残されそうになっても
夜明けの向こう側へ キミを連れ出すよ

作詞:高瀬愛虹 |トロワアンジュ『Tomorrow Melodies』より

 現在発表されているトロワアンジュの楽曲11曲のうち、7曲もの歌詞の中に「光」または「ヒカリ」というワードが含まれている。
極めつけが『Lumière』という曲。タイトルがもう「光」である。

暗い場所からでしか 見えない光があるの
孤独がほら 愛の温度 気づかせるように
明日が見えてしまうなら その足を止めてみるの
行きたい場所を ずっと照らしてるわ
胸の奥にある Lumière

作詞:Soflan Daichi |トロワアンジュ『Lumière』より

それぞれの曲の中では、色んな形の「光」や概念としての「光」について歌われているが、『青い鳥より』でも、ひょっとして「光」が描かれていたのではないか。

 戯曲『青い鳥』の終盤、チルチルたちが青い鳥を求めて旅に出てから1年後、自分たちの家に帰り着き、これまで一緒に旅をしてきた者たちと別れる場面において、「光」と別れるのを嫌がるチルチルに、「光」はこう言う。

いい子だから泣かないで、わたしは水のような声は持っていないし、ただ音のしない光だけなんだけれど、でも、この世の終わりまで人間のそばについていてあげますよ。そそぎ込む月の光にも、ほほえむ星の輝きにも、上ってくる夜明けの光にも、ともされるランプの光にも、それからあなたたちの心の中のよい明るい考えの中にも、いつもわたしがいて、あなたたちに話しかけているのだということを忘れないでくださいね。

作:モーリス・メーテルリンク / 訳:堀口大學 |『青い鳥』 第六幕 第十一場 「お別れ」より

このセリフが、『青い鳥より』という歌の全てではないだろうか。
「光」の視点から、人の子に向けられた慈愛が歌われているように思う。
そしてこのセリフの内容はもう、そのままトロワアンジュだと言ってもいい。トロワアンジュとは、歌を得た「光」である。

さらに強引に拡大解釈するならば、
 ・「そそぎ込む月の光」=『月影のトロイメライ』
 ・「ほほえむ星の輝き」=『銀河の雫』(または『Lumière』)
 ・「上ってくる夜明けの光」=『Tomorrow Melodies』
 ・「ともされるランプの光」=『エンゼルランプ』
と、「光」が挙げたそれぞれの光が、トロワアンジュの各曲に対応しているかのようでもある。
しかしこの紐づけはさすがにオタクの妄執であろう。ロマンチックな偶然とすれば奇跡だと喜ぶこともできるし、冷静になれば「光」を表現するにあたってそれを連想させるモチーフが重複するのは必然とも言える。好きなように受け止めて差し支えない。

 そして、最後に挙げられた「あなたたちの心の中のよい明るい考え」。
これが間違いなく『青い鳥』のメインテーマと深く関わる部分であろう。
旅を終えたチルチルとミチルは、自分たちが住んでいた貧しくみすぼらしい家が、森が、父母が、すべて美しく輝いて見えるようになった。そしてチルチルが鳥籠で飼っていたただのキジバトが、青くなっていることに気付くのである。

 旅に出る前のチルチルは、このキジバトを欲しがってもいない妖女にさえ「これは僕のものだから」と譲るのを渋っていたが、旅を終えて帰ってきたチルチルは、隣家に住む老婆の娘が病に臥せっており、このキジバトが欲しいと言っていると聞くや、あっさりこれを譲ってしまえるようになっている。

 これは、チルチルの内面の成長であり、自分のものを無償で他者に譲り渡せるほどの心の豊かさの表れである。心の豊かさゆえに、チルチルの目にはキジバトが青く、世界が美しく映っていた。

 我々人間は光によってものを見ているが、光そのものを見るのでなければ、ものに反射した光によってものを見ている。つまり、ものを照らしている光がどのような光であるかによって、ものの見え方は変わるのである。赤い光に照らされていれば赤みがかって、青い光であれば青みがかかって見えるだろう。環境が変わっていないにもかかわらずものの見え方が変わるというのは、すなわち自分が変わったことによるもの。もう少し象徴的、観念的に言うならば、自らが放っている光、または持っている灯りが変わったのである。(『Lumière』の歌詞に通ずるところでもある)

 幸せというものは手に入れるものではなく、すでに自分のそばにあって、自分の心のありようによって感じるもの、気づくものであるということを、この物語は教えてくれている。

 『青い鳥より』はもちろん『青い鳥』に込められたメッセージを孕んでいるが、同じように「幸せは感じるもの」と歌っている曲を、すでにトロワアンジュは歌っている。

幸せは感じるもの
みつけるものじゃないのなら
その腕と(その腕と)その心で(その胸で)
愛する人を感じて
地球(ほし)が廻って太陽(ヒカリ)を(いつの日も)
互いに分け合うように いつか(ひとつになる)
すべて分かり合えるだろう
無意味な涙 もう流さぬように

作詞:高瀬愛虹 |トロワアンジュ 『Dears…』より

 こうしてトロワアンジュが歌ってきた曲の数々を振り返ってみると、いずれの曲も「愛」や「光」といった近いテーマを歌っている。
「いつもわたしがいて、あなたたちに話しかけているのだということを忘れないでくださいね。」という、『青い鳥』での「光」の言葉が思い出されてならない。やはりトロワアンジュは「光」なのだ。


余談:青い鳥はなぜ青いのか

 「幸せの青い鳥」などという言葉を耳にすることはよくあるが、戯曲『青い鳥』の中で「青い鳥が幸せを運んでくる」だとか、「青い鳥を手に入れれば幸せになれる」などと表現された描写は一切ない。突然現れた妖女が、病気の娘の幸せのために必要なものとして「歌う草」と「青い鳥」を挙げただけである。つまり、鳥が青ければよいのであって、何か特別な力を持った特定の鳥を指しているわけではなさそうである。
 ちなみに、自然界に存在している鳥の中で青く見える鳥はオオルリなどの種がいくらかあるが、いずれも青色の色素は持っておらず、物体の構造によって特定の色に見える、構造色というものである。

 では、ここで求められた鳥はなぜ赤色や黄色などではなく青色でなければならなかったのだろうか。
 これには、宗教的な象徴として青色が意味するものが引用されているのではないかと思う。
 『青い鳥』の作者メーテルリンクは、ベルギーの裕福なカトリックの家に生まれており、象徴主義に傾倒した作家である。キリスト教において特定の色が象徴する主なものとして、赤色が表すイエス(神の慈愛)、黄色が表すユダ(裏切り)、青色が表す聖母マリア(天の真実)がある。
 また、『青い鳥』第四幕 第二場「幸福の宮殿」でチルチルと言葉を交わす「母の愛」というキャラクターが印象的に尊く描かれていること、第五幕 第三場「未来の王国」では、建物やそこにいる者たちが身につけている衣服などあらゆるものが青色であることなど、聖母マリアと天の真実を示唆する表現が見られることから、人は天の真実に触れる事で豊かな心を得て幸せを感じることができるというメッセージを伝えたかったのではないかと思う。
 劇中の一連の出来事がすべて聖夜の一晩に起こったものだったことから見ても、多分に宗教的な意味合いの強い作品と言える。

 この世界で身近にある青色と言えば、空と海の青色であろう。いずれも空気や水そのものが青い色素を持っているのではなく、太陽光に含まれる色の中で青色の光は地球の大気中で散乱しやすい性質を持つため空は青く見え、水中では他の色に比べ吸収されにくい性質を持つ青色だけが残り反射して目に届くため青く見えている。なぜいずれも青なのか。不思議な色である。

『青い鳥より』ではこのように歌われている。

愛する人 想う気持ち
どんな色だろう
澄み渡る空の青い色
心を繋ぐ色 見上げて空を

作詞:高瀬愛虹 |トロワアンジュ 『青い鳥より』より

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