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他者と向き合う時間がプレゼントされた旅。

旅の原点。
自分が「旅」に目覚めたのは19歳の時だった。祖母が中国の書道の先生を訪ねに行くというので、ついて行った。ほとんど中国のことを知らず、北京・敦煌・南京を訪ねる。その頃、日本の報道では中国の内政は安定しておらず暴動の様子がよく記されていた。私の勝手なイメージの中で中国は危険という感覚が勝手に蓄積されていたが、それが全く根の葉も根拠がないことに、初めて気付いた。自分の目で見て、肌で感じて、頭で考えることの大切さが身に沁みた。

一方で、この旅は私にとって自分以外の他人と向き合う時間をプレゼントしてくれた。祖母は家族であるが、普段は別の場所に暮らしており、彼女自身に関心があるというより、いつも夏休みやお正月に遊びに行く場所にいる人という感覚だった。赤の他人ではないが、私の中で濃い関係でもなかった。
2週間ほどの時間の多く祖母と過ごした。特に私たちは中国語が分からないので、現地の方とお話しするときは日本語が分かる方に通訳してもらっており、私が自由に日本語で話せる相手は祖母のみ。旅先で感じたことを話すことから始まり、移動時間や宿での時間が沢山あったので、祖母の子供の頃や結婚する前の話など普段知ることのない話を沢山聞かせてもらった。
時に旅路では毎日顔を付き合わせることが多すぎて、私はプライベートな時間が欲しくなり、声が荒っぽくなった。そんな時、祖母は私の反応をみて、私にスペースを与えてくれたときがあった。そのちょっとした心配りが祖母への信頼感をぐんと高めるきっかけとなった。

私は人の深い信念や生き方、価値観を感じる時、非常に深い満足感を味わえる。この旅を通して人とじっくり話すには普段と違う場所で日常に追われるのでなく、その人との時間を味わう醍醐味・喜びの種が自分に蒔かれた気がする。

私の旅の中にある価値観で「人との関係性を見直す」、「私とあなたを新たな視点で見つめる」が意識しないけど、期待して育んでいる自分がいることに気づく。

旅にからめたエピソードを掘り出しながら旅を知る探究が続く。

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