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平成7年という時代

あの日、いつものように東京の自宅でぬくぬくベッドの中で寝ていた。

平成7年(1995年)1月17日火曜日。
平日の朝、まだ起きる時間ではない午前6時頃、防災情報を流すラジオがけたたましく鳴り響いた。

関西で地震。

当時はまだネットの時代ではなかったから、情報はテレビかラジオ。
朝起きて、ニュースを観てもまだ分からなかった。
その時はまだ、何も。

被害の状況が明らかになるにつれ、日本、いや世界中が戦慄しただろう。

高速道路が倒れ、ビルというビルが倒壊した街。
夜になり、火災があちこちで発生した。

これは対岸の火事ではない。
この日本で起きている、未曾有の大災害だった。
そしていつか、東京でも起きるかもしれない。

信じられない気持ち、それ以上に恐怖と不安でいっぱいになった。

時が経つにつれ、被害状況が分かってきた。
救助の手や、ボランティア、救援物資も入っていった。

私には募金をすることしかできなかった。
何ができるか、自問自答したのを覚えている。
何もできない自分がそこにいた。

自分に今できることをしよう、それだけだった。

もちろん生活の立て直し、インフラ整備、問題は山積み。
それでも、行政や企業は賢明に復興のために尽力してくれた。
そのお陰もあって、めざましい復興を遂げたのは周知の通り。

そしてこの災害に名称が付けられた。
「阪神・淡路大震災」

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この日、いつものように出勤した私たちに、先輩が叫んだ。

「8時頃に地下鉄でガスが発生したみたいです!」

平成7年(1995年)3月20日月曜日。
休日明け、誰もがため息をつきながら職場へと急ぐ足。
そんな通勤時間帯に、それは起こった。

なんだなんだと職場でテレビを観た。
たくさんの人が道路に横たわり、緊急車両がひしめく。
警察も消防隊員も、自衛隊も出動し、人命救助と避難誘導が行われていた。

あとで知った。
ガスはガスでも、発生したのは「サリン」という毒ガスだった。

その後、新興宗教団体の同時多発テロと判明し、次々と関係者が逮捕された。

ちなみに、この宗教団体は、別の場所で、毒ガス実験を行っていた。
誤認逮捕された人がいたが、この事件を前後して、その嫌疑が晴れた。
何とも後味の悪い事件であったのを覚えている。

やがてこの事件はこう名付けられた。
「地下鉄サリン事件」

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そして月日は流れ、平成が終わり令和の時代になった。
あれから25年。

平成は災害の時代といわれた。
バブルが崩壊し、不安定な社会、立て続けに起こった災害、事件。

その後も東日本大震災、熊本地震、豪雨災害などが起こった。
災害大国日本、テロに弱い日本。
この年を境に、色々なシステムが変わっていったように思う。

そんな時、平成の天皇であった現上皇陛下は、つねに国民の心に寄り添っていたのを覚えている。
陛下の心痛を思うと察するに余りある。

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平成7年、幸いにも、家族友人知人に被害はなかった。
だが複雑な気持ちがよぎる。
この2つの事件では、多数の死傷者が出た。
たまたま居合わせなかっただけのこと。
それを忘れてはならないと思う。

平成7年、生まれていなかった人も当然いる。
きっと、教科書やテレビの報道特番で知った人も多かろう。
だからこそ覚えておいて欲しい。

こういう災害があったこと、こういう事件があったこと。
たくさんの被害者がでたこと。
そしてまだ、復興途上であること。

この世代も、後に生まれた世代の人も、是非とも語り継いで欲しい。

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「災害は忘れた頃にやってくる」

なら忘れなければいい。
忘れなければ起こらないはずだ。
災害は起こる、事件事故は起こる。
絶対に忘れない。

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そんな備忘録。


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