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【過干渉な親との関係に境界線を作る】「これでいい」と心から思える生き方を読んで

「鏡の法則」の中で、同著者の本『「これでいい」と心から思える生き方』が紹介されていました。

過干渉な親は子供が嘘や隠し事をして、自我を確立していくプロセスを阻むということを鏡の法則の中でも触れていたのですが、「詳しくはこの本を参照ください」とのことだったので読むことにしました。

読んでみて、子育てをこれからされる方や、今子育て中の方、子供と関わる仕事をしている方にも読んでほしい内容だなと思いました。

このところ、私は自分の内面の問題に向き合う期間になっていて、これまでにモヤモヤと抱えていた親に対することや、一旦離婚してしまった旦那さんとの関係をやり直すためにも自分の心の問題を解決しようとしています。

親とのことは、過去記事でも色々書いたことがありましたし、「こうしよう」「こうせねば」というような目標めいた形で書いたことが多くありましたが、根本的にはまだ解決できていなかったようです。

というのは、目標みたいに意識的に「こうしよう」と思っていても、心がついてこなかったり、わかっていても「なんでこういうこと言うの?!」と怒りがたくさん出てきてしまったりして、理性で無理やり何とかしようという作戦では何も解決できないことに気づきました。

一番の気づいた原因は、元旦那さんとの間で出てきた問題でした。
結局親との間で抱えている問題は、似たような身近な相手との間で同じように出てきます。
同じ考え方を使って相手を認識しているからですね。そんなわけで、未解決な問題がそのまま、恋人や配偶者、子供との間で出てきてしまいます。

友人や職場の人間関係にも本当は出てきているのですが、恋人や家族と比べると距離感がありますし、比較的自覚しにくいものです。
本当のところは、職場の人から嫌われていたり、誰かに嫌な思いをさせていたとしても、気を使ってやりすごされていたり、割り切って付き合いされているために気づかないのです。

私の過干渉な母親から、まだ何か言われるたびに私の心がザワつくので、今後の自分の軸をブラさないためにも、今時間のあるうちに向き合わなければと思いました。

本についての前置き

この本の内容は、一般的な自己啓発本のように言いたいことが要点的にまとめられたような本ではなく、実際の例や他の有名な文学作品や著名な人物の人生、心理学者の考察などをもとに、精神的自立のプロセスを順を追って示したものです。

また、親との関係だけにフォーカスした本でもないので、自分が自分の選択に納得して生きるための考え方やヒントがいっぱい書かれています。

知識として理解するというよりは、例えば「断る」ということをやってみて、その時の感情にどのように対処するか、どのように考えれば良いのかを解説されている箇所もあります。

私も人に言われたことを「断る」ことが苦手で、未だに偶に断り辛いと思うことはあります。
ただ、いつ頃からか読んだ本のおかげで「相手の気持ちは相手の問題」、自分が断ったことで相手が不機嫌になるのは相手の問題なので気にすることでは無いと考えられることができるようになって、断ることに抵抗がなくなりました。

例えばそういうことを説明するために、事例や心理学的な論拠、逆に断られたことで不満に思って怒ってしまうのは何故なのか、どういう心理なのかが書かれています。

過干渉から逃れて精神的に自立する条件

最初に要約されている自立への条件を4つ上げておきます。

本の中で書かれている言葉では難しいので、勝手に解釈し、書き換えています。

1. 自分と他者の間の境界線を明確にする
 →自分の欲求や気持ちを大切に持つことが当然にできるようになる

2. 他者や世間に振り回されずに、自分で考え、自分の責任で選択する
 →内発的動機に沿って生きられるようになる
3. 心理的に必要なプロセスを経て現実をふわふわせずに生きられるようになる
 →自分の限界を知り、コントロールできないことを受け入れて、自分以外のことに感謝ができるようになる

4. 自己受容できるようになり、他者のことも受け入れ、健全な関係を作ることができる

「これでいい」と心から思える生き方

親から精神的に自立できていない状況では、自分と他人との線引きが曖昧です。
思い通りにいかないことで他人にキレ散らかしているおじさんも、こういう他人との線引きが明確にできていないから怒るのです。

親との間の問題を自覚していなくても、他人との間の境界線ができていない人が多くいます。

境界線を理解した上で、親の発言に反発しているのが2段階目になります。自分では過干渉に気づいて、どうにかしようとしているけれど、自分の責任で動けなかったり、「だから言ったでしょ?」と言われるのが怖いという葛藤はこの辺りです。

ある程度自分で責任を持って選択をすることができても、まだ不安が残っていたり、誰かに何か意見を言われると騒つくのは、3段階目が確立できていないからです。

自分の怒りやあらゆる感情や、ずるい自分、みっともない自分など全てを受け入れて自己受容できた時が4段階目が確立した時です。

必ず4段階のプロセス順に進むわけではなく、ある部分では4段階目までできていても、ある部分では1段階目で止まっているものもあるわけです。
他人にイライラしてしまったり、嫌な気持ちになるのは、1段階目の境界線に気づいて!というサインだと思います。


自分の人生を満足に生きるためには?

※私が本を読んだ内容をまるパクリして書くわけでは無いので、もし内容が入ってこないけれど気になる場合は本を読んでいただければと思います。

①自分の責任と相手の責任を分ける

過干渉な親を持つ人は、親からの意見を実行しなければ、親が不機嫌になったり、イライラしたり、何か受け入れられないことがあると「縁を切る」とすら言われたり、何かしらの制裁を与えようとされることがありえます。

これに関しては、まず、上記の話のように「断る」ことができるようになる必要があります。

親が不満そうにしているのは親の問題で、自分の選択が間違っているわけでもないし、自分がいいと思うものを選択することはいいと信じておくことです。
ひとまず現実に干渉されることをやめるための行動で、これだけだとまだ親に対する心の葛藤は残っています。

本当なら親にも自分の選択したことを一緒に喜んでほしい気持ちが残ったままになっていたり、不安感が残っていたりすると思います。

他人からの意見や評価に振り回されるのも、ここで線引きができていないことによるものでもあると思います。

②自分の外発的動機・社会通念への囚われを見直して、内発的動機を増やす

自分がいかに外部からの刺激によって動いているのかを知ることが大切だといいます。

親から言われた言葉や教えが本当に正しいのか疑うことが大切です。
これらは一般的には反抗期で起こるはずのことですが、教育の問題や家庭環境によっては反抗期を完全に済ませられなかったりします。

改めて親や自分の選択を制限していたルール、学校で当たり前とされていたルールについて疑い、自分なりの答えや選択を考えてみるのです。

本の中では詳しく書かれていますが、学校の成績が良く、遊び(内発的動機からの行動)をあまりしてこなかった人は従順に行動することはできても、新たなアイディアや物事を良くしていくという発想はないと言われているのも妥当だと思います。

外発的な動機は、プライドや見栄を支えるかもしれませんが、自分を心から喜ばせてくれるものではないので、何かを達成することにより、さらなるエネルギーが湧いてくることもありません。

自分の内発的動機で生きている人が減っているからこそ、「何だか生きている気がしない」「自分の居場所はここではない」という意欲に乏しい発想になっている人も多いのだと思います。

③責任を持って選択を決める

自分で責任を持って選択せずに、外発的動機や親からの意見で道を選択してしまうと何かあった時に「親のせいだ」「〇〇のせいだ」と他人のせいにもするし、被害者意識になってしまいます。

また、自分の意思ではなく、保守的な動機で選択した場合、権威主義的パーソナリティと言われることもあるようですが、自分の立場が優位になった時に他人を支配しようとしてしまうと言います。

例えば「就職のために大学に行く」というような選択をした場合も、自分のやりたいこと(内発的動機)のためではありません。そういう選択をしてしまうことによって、子供などの自分が優位になっている相手に「こうしなさい」「ああしなさい」と支配的な行動に出てしまうということです。

④限界・制限・コントロールが及ばないことを理解する

自分がどう足掻いてもできないこと、他人をコントロールすることはできないこと、自然や災害の前では人間は無力であること、その他諸々の限界や自分の能力の制限を知ることが「万能感」を手放させ、思い通りにならないことへの耐性を作るといいます。

その「万能感」がなくなることによって、物事に感謝する気持ちも生まれます。

自分で何でもできる、私は何でも持っている、と傲慢になっている人には感謝はないので、いつかその報いはやってきます。
また「万能感」は手放せないが、思い通りにならないと思っている人が「自分の居場所はここではない」「自分にはもっとふさわしい何かがあるはず」と悶々と過ごすことになります。

また、家族が家族として機能しているかどうかというのは、世代間の境界線が明確になっているかどうかということが基準になっているそうです。
親子関係に悩む人にとっては、その境界線が曖昧だったことが、親との関係に問題を生じさせていると言えます。

本当は両親が仲良くというのか、味方同士で、子供に対する関係を作るべきなのが、母親と子供が結託して父親を蔑ろにしたり、逆に父親と結託したりして、親と子の間にあるべき境界線が消えると、自立が健全にならないようです。

⑤自己受容を深めていく

自分のいろんな感情も考えも「肯定」ではなく「受容」していくプロセスです。
肯定=私はこれで良い、ということになりがちですが、受容は「仕方がないよね、人間だもの」というような感じです。

「私はバカだし、アホなところもあるし、ずるいし、潔くないし、気持ち悪いところもあるし、怖がりだし、痛がりだし、大事な時には逃げちゃうけど、でもそれが自分なんだな」という受け入れる気持ちというのですかね。

無理に自分の良くない部分を良いと思い込むなら、無理な自己肯定=自己正当化をしなければなりません。
本当は間違っているのに「私は間違ってないもん!」って言っている人がいたら「自分の間違いを認めないなんて子供っぽいな」と思うと思います。自己正当化するのは、自分が間違ったことを自己受容できていないからです。

「間違うことだってあるよね、人間だもの」みたいに、「自分が間違うのも仕方ないし、間違うのも自分なんだな」と自分の事実に抵抗しないことです。

自己受容ができるようになった物事が増えるほど、人に優しくなれるし、他人が間違うことも、他人が弱さから逃げ出したり、何かしてはいけないことをしたとしても許せる度量が増えるといいます。

親の過干渉の原因は、自分の人生を生きれていないこと

親との関係性に関する本を幾らかでも読んでいれば、そもそも何かうまくいかないことからの逃避で子供の人生に干渉したり、執着したりするという話は見たことがあるかもしれません。

子供に熱心に夢を託そうとしたり、「後悔しないように」としつこく選択を考えて決めることを促したりするのは、親本人が過去のうまくいかなかったことをそのままにして、新しく自分のやりたいことにチャレンジしていくことを辞めていたり、「自分はもう若くないから」と望みを諦めているからです。

確かに若さがなければ難しい問題はあるかもしれませんが、何らかの形でそのやりたかったことや後悔したことに関わることはできるわけです。
なんなら、同じことをしようとしなくても、今やれることを見つけてそれに打ち込むことで気持ちを解消することもできるはずです。

自分の後悔や自分の願望を子供を使って、まるでゲームのコントローラーを握っているかのように操作して、自分の欲望を解消しようとしているのと同じなのです。

こういう状態では、親と子、人と人との境界線が明確になっているとは言えません。
だからこそ、子供は親の発言に悩むし、うまくいかないことにイライラしてしまうということです。


私自身の感想

私自身は、親の過干渉を自覚してから十数年経っているので、親の過干渉に自覚はあるし、親の価値観や考え方、これまで言われてきたことに対する強迫観念などもかなり消えています。

20代前半の頃は、いつも隣りに母親がいるかのように「こうしなさい」「ああしなさい」「こういうことはやらない方がいい」と、自分が何かしようとする時に頭の中に声がするような状態でした。

その時は親とは離れて暮らしていたのに、それまでと変わらず、母親からの制限や価値観の声が聞こえるので、「それは本当にそうなのか?」「別の方法を試してみたらどうなる?」と自分なりに親から言われた呪いを解くことをしていきました(呪いというのは親には失礼かもしれませんが、そう表現する方がしっくりくると思います)。

なので自立の2段階目まではある程度できていたと思います。

3段階目はある程度できていたのかもしれませんが、不完全で、4段階目の不完全さを元旦那さんとの関係で自覚させられたように思います。

母親に反発する気持ちをずっと持っていたことで「私はバカじゃない」「私はあなたみたいにはならない」という気持ちがずっとありました。
だから自分が母親に似た部分を見つけると自己受容できずにいたのです。

少しは年齢と共にマシになってきていましたが、自分のダメな部分を認めると母親に言われていたように「私は母親に負ける」と思い込んでいたんですね。
「だから言ったでしょ?!」と上から目線で言われてしまうと思うと、もうどうにでもして自分を正当化する道しか考えられなくなっていました。

自己受容するのは、親に負けたわけでもないし、自分が生きやすくなるためです。
親がたとえ「〇〇のような人間にはなるな!」と言っていたとしても、別にそうなって親を裏切ってもいいんです。

「こうはなりたくない」という恐怖の執着があることによって、それに近い現実が起こることもあるし、それを意識することによって「自分のやりたいように選択してもいい」という感覚を失ってしまいます。
あえてそうなる必要はないけど、なりたくないものを意識する必要がないのが当然だという意味です。

本を読んだことによって、親が色々と口出ししてくることに関しても「まあいいか」という気になれたし、「口出ししてくることが出てきたら、私はそれについて納得できる選択をしているかどうか真剣に考えるきっかけにしよう」と思うことにしました。

学校や仕事、結婚や結婚相手のことも色々と言ってきていましたが、「自分が納得できる選択って何だろう」と思うことにして、今もまだある外発的動機からの行動ではなくて内発的動機を大事にしていけたらと思います。


内発的動機の大切さ

本の中でもしっかり書かれていますが、学校教育そのものが内発的動機を抑え込むような教育なので、「もっと知りたい」「もっとこんなことしてみたい」という好奇心を抑え込んでしまいます。

仕事も何となく就職したり、一応親や社会が認める会社に入ったから…ということで納得しようとしたり、いろんなしがらみがあります。

ある知人がかなり自由人なのですが、転職して「仕事だー、楽しい〜」と通勤時にメッセージをよこしていたので、笑ってしまいました。
こんな遊びに行くかのように仕事に行く人は見たことがなかったからです。

仕事でも何でも、楽しもうとすること以上に気力の湧いてくることはないと思います。楽しいことをしている間は時間も何もかも忘れて没頭しているはずで、疲れているのかすらわからなくなっていたと思います。

すぐに全てを楽しめるように変えていくことはできないかもしれませんが、今やっていることの結果だけを望むのではなく、やっていることを楽しむことが、今に集中することでもあり、私たちの人生そのものなのかもしれません。

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