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MZM大炸裂に行ったよ〜と決意表明

コンサートに行くのが好きだ。そのタレントがつくりだすエンターテインメントをその場で受け取って消費する時間がとても好きだ。
日常の中での一瞬。起きているあいだに見る夢の時間。それがわたしにとってのコンサートだった。
コンサートは楽しいし、幸せだけど、これが終わったらわたしはまた日常に戻る。そんな夢と現実の不思議な狭間にいる感覚がいつだってあった。それは決してきもちいい感覚ではないけど、しょうがない感覚だった。夢の世界と現実世界はつながっていなかった。

先日、はじめてVTuberのコンサートに行った。MonsterZMATEという音楽系VTuberの6thワンマンライブ、場所は豊洲ピット。
1年前から動画を見ていて、音楽も聴いていたひとたちだったから行ってみようとなんとなく応募した。持ち前の強運が作用して、無事チケットを手に入れることができ、京都から夜行バスに乗って東京の街へ出た。早朝の東京はなんか、すんとしていた。
何度もひとりでコンサートに行ったことはあったけど、やっぱりはじめての界隈のはじめてのコンサートは緊張する。どんな雰囲気なんだろう、オタクはこわいだろうか、新規ってバレるだろうか。ビビりながらMZMの曲をおともに会場へ向かった。初めてゆりかもめを生で見た。よくわからなかったからふつうにJRで行った。

結論から言うと、コンサートははちゃめちゃにたのしかった。えぐい。感動とか、そういうちゃちな言葉でおさめられないくらいわたしにとって大きな印象を残したコンサートだった。

まず、ファンの民度が最高にいい。大人が多い、というのもあるかもしれないけど会場にいるスタッフさんがオタクに叫んでいないコンサート会場ははじめてだった。どれだけ民度がいいと言われているグループのファンでも開場前に歩道でたむろってしまったり、整列がきれいにならなかったりするものだった。
まじでスタッフさん、めっちゃ声小さかった。これはネガティブな意味じゃない。小さい声でも聞こえるのだ。みんな落ち着いているから。奇声を発する人もいないし、執拗に浮き足立っている感じもない。開演前からいままでとのちがいに驚いたりした。ひとりきりだったので顔には出さなかった。わたしがポーカーフェイス得意じゃなかったらめちゃくちゃ目がキラキラしてたと思う。

開演してからはさらにびっくりの連続だった。
ファンがめちゃくちゃコールアンドレスポンスするし、めちゃくちゃ盛り上げるし、なんかすげかった。わたしの前にお兄さんがふたりいたけど、ふたりとも超でかい声でコーレスしてて後ろにいたわたしのテンションもめちゃくちゃ上がった。なんかめっちゃジャンプしてたし。お兄さんたちだけじゃなくて後ろからも前からもすごいでかい声でコーレスが聞こえたり合いの手が入ったりして、うわ〜!!となった。
この人たちは、ほんとうに、MZMのことが好きなだけの人たちなんだ!!とすごく嬉しくなった。オタク同士でマウントを取るために高級ブランドを身につけたり、誰がいちばん古参かを争ったり、ファンサをもらうために精一杯になったりしない。ただ、この2人がつくるエンターテイメントの大ファンで、そのコンサートを最大限に楽しんでいるんだ。「推し」とかそういうのよりも、なんか素直に「応援している」感じがしてすごくよかった。
あったかくて、アツくて、汗臭い人たちだ!!!!すてき!!!!!とペンライトを掲げながら思った。テンションがあがって、ぜんぜんひとりで叫んだりした。たのしかった。
うわ〜〜〜あの場を思い出しただけでもにやにやしてくる。こんなの初めてだった。わたしにとって「日常の中で一瞬夢を見る場所、そこからでたら現実に戻る束の間のエンタメ」だったコンサートが、現実世界にも響いていた。

もうひとつ、はじめてだったことがある。
わたしはこのコンサートでいろんなやる気をもらった。やる気?となるかもしれない。なんていうか、カッコよく言えばモチベーション。
わたしはMZMのお二人や一緒に出演されていた方々がいままでどんな道を歩いてきて、どうしていまそこに立っているのか詳しい内容は知らない。けど、たくさんのことを重ねた結果そこに立って、こんなにも熱狂する会場をつくっていることはたしかにわかった。
わたしも、これになりたい。
漠然としたやる気だった。わたしは歌も歌えないしラップもできないし、楽器も弾けないのに。それでも、わたしもあんなふうになりたいと思った。いろんなものを積み重ねて、経験して、いまできる最大限を出せるひとになりたい。
そんな彼らはコンサートの途中、「一生懸命やることは得意。一番簡単だから」と言った。あの会場で、さりげないこの言葉にダメージを受けたのはわたしだけだったかもしれない。一生懸命。わたしのいちばん苦手な四字熟語だった。

恥ずかしいことを言うけれど、わたしは21歳になってもまだ、一生懸命やることが恥ずかしい。一生懸命やる、というよりも一生懸命になった先で出来なかったとき、負けたときが恥ずかしいのだ。12歳のころ出会った思春期を、この歳まで引きずり続けてきていた。
負けたくない、でも勝てるかはわからない。わたしよりも強い人たちなんてたくさんいる。たくさん努力してもダメだったら?その努力までもダメって言われるみたいで、そんなことなら最初から努力なんてしたくなくて、なんてダサい言い訳ばかりして生きてきた21年だった。
結局一生懸命やっている子に抜かされて、なにもしていないのに悔しがっている自分も恥ずかしいからポーカーフェイスが上手くなった。
いちばん、恥ずかしい人生だ。
わたしがなりたいと思った人たちは、一生懸命が簡単にできるひとたちで、わたしは一生懸命がこわくて、でもそのままじゃふたりみたいになれなくて。
くやしいくやしいくやしい、と豊洲ピットの真ん中で思った。上手になったポーカーフェイスの裏で、めちゃめちゃ悔しい思いをしていた。あのとき一生懸命やっていたら、なにも怖がらず挑戦していたら、いまよりもっと、あのひとたちより近いところにいれていたかもしれない。今まで逃げてきた自分を、そしてこの後に及んでタラレバを言う自分を殺したくなった。

けど、逃げてきたのがわたしだ。逃げて、この観客席に立っているのがわたしだ。後悔してタラレバを言ってもその事実は変わらない。
わたしは、どれだけ大人になっても一生懸命やることが簡単だと思えないかもしれない。だけど、恥ずかしいと思わないことにしようと思った。だってわたし、あれになりたいもん。あのステージにいるひとたちみたいになりたいもん。
だらだらしていたらすぐに若さはなくなってしまう。まだ21歳。だいじょうぶ。一生懸命やってもそれはきっとわたしの青歴史になる。
ゲストとして出ていた浮遊信号のあとりちゃんが、コンサートが終わるころ「この中に10年後、ステージに立っている人がいるかもしれない」と言った。
あとりちゃん自身が10年前観客側だったことがあるからだった。ステージに立つのは歌えないのでむりかもしれないけど、おなじ場所にいたいと思った。観客席じゃなくて、そっち側にいたい。わたしはぜったい第2のあとり依和になる。豊洲ピットの観客席で、ひとり誓った。

コンサートはエンターテインメントを消費する場所だと思っていた。
MZMのコンサートで初めて、自分の人生に還元されたものがあった。夢の世界だと思っていた場所は、自分の行動次第で現実世界の延長にあることを知った。
わからないけど、わたしはたぶん、あの観客席を一生忘れないと思う。人より海馬が弱くて記憶力がよろしくないけど、あのとき感じた熱量と憧れは、きっとずっと覚えている。自信がある。
いつか、あそこへ行けるように。

まってろ〜〜!!ぜったいビッグになるからな〜〜〜!!!


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