バカは勉強できないけどやさしい

私はものごとを順序立てて話すことが得意じゃない。
いつだって思いついたことが先に口から出て行って、自分が本当に話したいことがなんなのかわからなくなってしまう。
頭の中で組み立ててから話すことを心がけていた時期もあったけど、組み立てている途中に「あれ、これはなにを考えていたんだっけ」となってしまってからは考えるのをやめた。

思えば、数学もそうだった。数学と会話は似ている。
公式を教えてもらって、よしよしわかったぞと途中式を重ね続けているとすん、とフォーカスが遠くなり「あれ?」となるのだ。いままで自分が書いていた途中式が、一瞬で意味のわからない記号として見えてきて、結局この出来上がった途中式からどれを掬いだすんだったかわからなくなる。正気にもどる、みたいなそんな感じ。
この一連を教えてくれていたともだちに言うと、いつも意味がわからないという顔をされた。
こちらからすると平気でこの羅列から答えを見つけ出せるあなたがわからないよ、といつも思った。
頭のいい人がわたしのこの”わからなさ”を理解できないのなら、頭の悪い私が理解できるわけないので数学は諦めた。

定期テストで5点を取った。

はじめて、テスト返しとはいえ授業中にもかかわらず廊下に呼び出された。
私が授業時間に本を読んでいても、小説を書いていても何にも言わなかった先生が「さすがにまずいよおまえ」と廊下で言った。
私もさすがに「さすがにまずい」と思った。
自分の頭が悪いことに対しての”まずい”ではなく、5点を取ったことに対しての”まずい”だった。
お母さんになんて言おう、とずっと考えていた。
30点を取ったことは何度もあったけど、そのたびに「欠点じゃなかったよ」と自信たっぷり報告していた。
今回のこれは欠点どころか、5点である。30と5は私にとっていちばん大きな数字の差だった。

我が家は親がいちいちテストの点数を聞いてくるのではなく、自己申告制だったのでべつに黙っておくこともできた。
だけどなぜか私のお母さんはどこからかテストを見つけ出して私の学校用お便りファイルに保管していた。
どうせ静かに見つかって静かにガッカリされるのなら、自分から言った方がいい。
だけどやっぱりまっすぐ「5点だったよ」とは言えなくてなにを思ったか「のび太くんになっちゃった」と言った。
お母さんが「ゼロ?」と驚いたとき初めて、そうだのび太くんは私よりも低いゼロだったな、となぜか安心した。小学5年生と高校2年生が張り合えることじゃないのに。
ゆっくりてのひらを開いて五本指を見せると、お母さんは「あらー」とだけ言ってわたしのテストを冷蔵庫に貼った。
「なんで貼るの!」と言ったら「いましめ」とお母さんはくすくす笑った。
私はお母さんがこうやって子供みたいに笑う瞬間が好きだったけど、このときばかりはくそやろう、と思った。
なぜならば、そのとき我が家には兄が住み込んでいたからである。

10歳年上のにいちゃんは、私にとって謎の男だった。
物心がつき始める八歳のころ、にいちゃんは大学進学を機に東京へ行った。
物心ついてからしばらく会わないでいると、ほぼ他人の気分になってしまうものなのだ。
年に1回、帰省したときに会うくらいだから遠い親戚とおなじ位置ににいちゃんはいた。
だからにいちゃんが帰ってくるお盆はいつも緊張したし、自分の部屋でにいちゃんが寝ていると知らない男が寝ているような、そんな気がしていたのだ。
そんなにいちゃんがとつぜん、仕事をやめて帰ってきた。年に数日しかこの家にいない男が、ずっと家にいた。
冷蔵庫にテスト貼ったりなんかしたら、ぜったい見られてしまう。どんな反応をするかわからない。
私をおもいっきりバカにするだろうか。こんなにバカなやつ、俺の妹じゃないと言うだろうか。
こわくて、にいちゃんがリビングに来た瞬間、できる限り小さくなれるよう体操座りで待った。太ももと胸がぴったりとついていて、足がバクバクいっているような気がした。

にいちゃんは真っ先にテストを見つけ、宝の地図を覗くようにテストをじっと見て、それから大きな声で「おまえ天才じゃん!」と言った。
聞き慣れない標準語で、私に笑いかけてそう言った。
「0点取るのは簡単だけど、こんなに埋めて2問だけ当てるってふつうできねーよ!」
にいちゃんが楽しそうにわらう顔を見たとき、私の心はじんわりとあったかくなった。
あれは弄り半分だったのかもしれないが、びくびく震えていた私にとってあの満面の笑みはすごく嬉しかったのだ。
私ははじめて、私のバカさをまっすぐ笑ってくれる人を目の前にした。それが実の兄で、つい最近までほぼ他人だと思っていた兄で、なんだかとってもうれしかったのだ。
「次は30点とる」とにいちゃんに宣言したとおり、次のテストでは46点を取った。
気が抜けたのかその次のテストで7点を叩き出してしまったけれど、先生はもう私を廊下に呼ばなかった。
「5点より下をとらなかったらいい」と言ってくれて、成績は8をくれた。

自分で言うのもアレだが、割とうまいこと世の中を渡り歩いてきた方だと思う。
そうじゃなきゃ5点の女は成績に8がつかない。
バカだから、意外とそういうなにかを擦ったりすることができちゃったりするのだ。
むかし、頭の良いともだちに「プライドはないのか」と言われたことがある。
プライド。
20歳を超えたいまでも、あのときの質問の答えがわからないままでいる。
プライドという単語が、あんまりピンとこないのだ。
あのころ「わからない」と言ったわたしをともだちは笑いながら「いいねぇ」と言った。
バカでもわかる、見下すような笑い方だった。
バカは、察しがいいのだ。
私はこんなのだから、いろんな人にその目を向けられてきた。
これだけ回数を重ねれば、その目の奥になにが潜んでいるのかがわかるようになる。
大抵が「快楽」と「安心」だ。
彼女たちは私をそう見ることで愉悦を感じ、自分の位置を確認している。
バカでも気づくくらいわかりやすいよ。
そんなことを言ったら彼女たちの”プライド”が傷つくだろうから、言わない。

バカはやさしいのだ。


追伸:こういうことを言うと「バカという言葉を使って勉強してきていないことから逃げているだけ」と言われますがそういうひとに一言言わせてください。

うるさい!!

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