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【ポッドキャスト補足】「人脈」という言葉、大キライだけど、人に助けられた7年間


よく「人脈」って言葉は
あくまで結果論であって、

利己的かつ表面的に増やそうとするのは
意味がないかなと思う。

でも、結果、
長野県に住んでいた7年間で
私にとってはかけがえのない第二の家族、友人・知人たちができたので、
本意ではないけれど、便宜的にいうなら

誰よりも「人脈」に守られた7年間。

「助けて!」と言える人の存在。
「助けてあげたい!」と思ってくれる人の存在。

ちょっと何かあって
お互いしんどくなったら
すこしだけ距離をおいてみてもよい

100%、敵にはならないようにする。
できることを助け合う。
会いたくなった時、会いに行けばいいし

できることをする


よく別の地域・田舎に行くと
考え方が合わないとか、狭苦しいとか
あると思うし、

田舎は、とくに
ご近所さんとの助け合いで成り立つことが多いので

人と人の距離感も近く
それがしんどいと思う人もいるかもなんだけど

考え方が違う部分は
相手をむやみに否定したり
わざわざケンカしなければいいのかなって

自分ができることだけを提示し
できないことをちゃんと伝えられればいいのだと思う

ただ、ちょっと面倒でも、できることをやる

回覧板まわすとき
ちょっとご近所さんと害の無いおしゃべりをしてみるだとか

集会所のお掃除も、
お休みの日は率先して行ってみるとか

ご近所さんが何か困ってたら
できることはないかオファーするとか

意外とそれはよかったのかもしれない

なによりご近所さんとのかかわりは、私はたのしかった

相手が困ってること、大事にしていることで
自分がちょっとがんばればできそうなことを
できるだけ実践すればいいのかな

そうすれば、「外の」人間でも
少しずつ受け入れてくれると思う

捨てられるこだわりは捨てる

プライドの高い自分
どうでもいいことにこだわる自分だけど

こうでなければいけない、とか
そういうのはないはずだから

ただ、相手の懐にスッととびこむのに
相手が何がすきで、何がきらいか?を察してみて
それによって行動する

失敗したら、ごめんなさい!と
謝ればいいのだと思う

「損かも?」と思ったことも
まずはやってみると、また違う世界が見えてくるかも


逆に相手の過失に付け込み
自分の利を最後の最後までこだわり
相手のおしりの毛までぬくようなことはやめよう

それはきっといつか自分に返ってくる・・・
(そんな証明はできないけど)

結果、第二のふるさとができた


帰国出来たら・・・

実家に帰るかのように
いろいろ報告や相談をしたい知人ばかり

ウザがられるかもしれんけど・・・
そんな場所。


帰りたくなってきた!


長野にいた間は
ちゃんと自分が自分で生活を選べた、
「やっと生きれた」7年だったと思う

過去の暗い毎日
生きてるか実感のない毎日
延命治療しているような毎日

を思うと

その時、その時の「今」をいきれてたし
楽しかったんだよ!


未知の土地にいくのも
わるくないよ!

みなみ

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