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子どもがいない人生を考えるターンがきました

こんにちは。みなみです。

突然ですが、私とパートナーの間には子どもはいません。そして直近でもつくる予定は今の所、ゼロです。先ほど数えたら、今年で齢・・・33になるようです。

カナダにきてからというものの、圧倒的に年齢を数えるタイミングが本当になくなりました。知人と年齢の話題にならないのが大きいかもしれません。肌や体力の衰えなんかで年齢は感じますが、今自分の年齢が全く分からなくなってビックリしました。公的書類でも病院でも書く場所もないですね。書いたとしても生年月日くらいでしょうか。

この「自分は子どもを産むのか産まないのか問題」は、だれかれに言われるわけではないのですが(個人的には聞かれてもまったくかまわないですが)ふと、たまに自分の子どもについて考えるタイミングがきます。

すごくほしいわけでもないし、すごくほしくないわけでもないので、また厄介です。

私の相方くんには、幸せな人生を送ってほしいと思っています。これは私の勝手な願いですが、いろんなものに縛られず自由に羽ばたいてほしいし、そういう姿をみることが願いであり、私の目下最重要課題でもあります。

この辺は本当によく話し合ったし、左脳の私は、ここにいちるの後悔もありません。自分が決めたことです。

さきほどはカッコいいことを言いましたが、ワタシにも人並みの好奇心はありますし、そもそもこの辺の内なる女性を、絶対なめてはいけないと思います。科学で証明できるものは、ごくわずかです。

いくら決断だの、責任だのいっても、私の中の性としての女性がものすごい勢いであらがわないという保証なんでどこにもありません。

だからきっと今この日記を書いていて、それを忘れないためにも、今の気持ちをきちんと書き残しておこうと思っています。

すごくいろいろ考えてくれて、とても丁寧にメッセージをいただいた知人がいます。私は帰国時、「今」という波に流されることを選んでしまったので、実現にいたりませんでした…が、とてもこのメッセージに感謝しています。人生のどこかのタイミングでこれができるかもしれないので、心の大事な引出しにしまっています。

次日本に帰れるのはいつか分かりませんが、もしかするとカナダでこれを試みるかもしれません。

ちなみに、これはその知人のかたと全く別の一般的な話ですが、「結婚しないの?」「子どもはどうするの?」は、親戚や同窓会などでの、鉄板のフリですよね。こういった話題を上げることでハラスメントだと不快な思いをしたり、人々のこういう傾向を是正したいという世の流れも強く感じます。
個人的には、こういった現象は、「あくまで自然発生的な現象」にしか見えないので、何の意見もありません。彼らにとっては大事な話題だったりしますし、共通の話題が見つからないため仕方なくこの話題をふっているということも考えられますし、ただ無意識にマウントをとることでしか話題を継続できないという場合もあります。
もちろん、モノによっては不快になることもありますが、できるだけどんな考えの方とも楽しく会話を投げ合いたいので、彼らが投げてきたボールはできるだけ楽しく、でも自分が損なわれないよう、できるだけ正直に返します。

両親には悪いことをしてしまっているなと思います。姉も結婚していますが子どもがいないので、孫の顔を夢見ている両親の思いを考えると悲しくなります。

一方で、私はだれかのために生きているわけではなく、自分自身の安定や幸せを守ることも大事なので、これが揺らがないようにしないととも思います。

はい。いつもこの問題を考えると、このソリューションに行きつくんです。

子どもって親だけじゃなく、いろんな人と合って、かかわって、成長していくんだと思います。だから、子どもが困ったことはできるだけ手を貸したいと思っています。それが「社会的に子育てに参加している」のではと思っています。

また、子どもだけでなく、子どもを育てている親の心の支えになろうと思いました。講師の私からみると、親御さんはとても孤独に見えます。だからといって何ができるわけでもないのですが、ただ話を聴いたり、ちょっとしたお返事をするだけでも、なにか力になるのではと思うのです。

子ども、子育て、いろんな考え方がありますが、私は今、自分にできることをできるだけ全うしたいなと思います。


みなみ

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