「転生聖女は現世で何を診るか」第三話

第三話 転生聖女は救急外来で何を診るか(後編)

「40代の男性。30分前に急激な胸痛を発症! その後10分ほど様子を診るも改善せず救急要請! 痛みは今まで感じたことがない強い痛み、冷感もあります! 既往歴は特に無いとのことですが、健康診断も受けていないそうです!」

救急隊が押すストレッチャーに随行しながら話を聞く。
一言も漏れ逃しの無いように。頭の中に叩き込む。

「分かりました。ご家族の方はいらっしゃいますか?」
「いません! 独居です!」
「ありがとうございます!!」
「よろしくお願いします!」

……分からない。
今まで見てきた患者さんは、怪我をした人。つまり外傷を受けた患者だった。
見えるのだ。傷口が。打撲痕が。火傷の痕が。
けれど今回のは見たこともない。
傷ひとつ無い。かなり太っている人具合の悪い人以上の感想がない。
何故、なにも怪我をしていないのに、この人はこんなにも苦しんでいるのか。
冷や汗が滴るほどに。顔がゆがむほどに。
ダメだ。手に負えない。

「……安藤先生に連絡を。」
「いいんですか? 今仮眠を取り始めたばかりですよ。」
「う……。それでも患者さんの命が最優先です。」

後ろめたさはある。けれど優先順位は履き違えない。
安藤先生に連絡をする……が出ない。
考えたくはないが、PHSの音に気が付かないほど深く眠ってしまったのか?

「……昨日は相当忙しかったと聞いたし……他の先生に連絡を。」

続いて橘先生に連絡をとるが……。

「はい、橘先生のPHSです。今はオペ中ですが、なにか伝えますか?」
「いえ、大丈夫です!」

ダメだ。手術は複数の医師が協力して行うものだと聞いた。まさか上の先生がいる前で私に指示を出すわけには行かないだろう。栗栖先生は……。

「悪い。今患者IC中なんだ。10分後に連絡する。まずはモニター装着とルート確保をしてみてくれ。できれば心電図も。」
「わ、分かりました。」

栗栖先生も手が空かないらしい。
ICとは患者さんへの病状説明のこと。
そんな状態でこちらの対応をしていてはその患者さんに失礼だ。
他に頼れる人物に心当たりは……ない。

「で、どうするんですか? さっさと指示ください。」

鈴木さんが急かしてくる。
患者さんの顔色はかなり悪い。10分も待てるか分からない。
せめて、やれることをやらないと。

「も、モニターと点滴を確保してください。」
「モニターは何を? 心電図ですか? 血圧ですか? SpO2ですか? 点滴はどこから取りますか? 薬剤は?」
「ぜ、全部お願いします。点滴はどちらでもいいので多分腕から……。」
「多分?」
「腕からでお願いします!」
「はい。で、点滴の薬剤は?」
「え、えーっと。」

1週間で学んだことからヒントがないか必死で思い出す。
確か、点滴の内容は……。

「せ、生理食塩水! 生理食塩水でお願いします!」
「心不全や高Na血症の可能性はありませんか? 本当にそれでいいんですか?」
「う……。」

心不全はともかく高Na血症とはなんだ?
その病気だと生理食塩水はダメなのか?
もしかして生理食塩水を投与すると死ぬ病態があるのか?
必死で記憶を探る。今、私は、何を、すべきなのか。

そうだ。そういえば橘先生はあの時の勉強会で……。

「病態に合わせて点滴の内容を選択するのがベストなのは間違いないわ。でも個々の病態とその治療を全て教えている余裕は無い。だから一つだけ教えておく。迷ったら生理食塩水を少量で流しなさい。点滴があれば次の治療につながる。治療をしようなんて考えは捨てなさい。初期対応の役割は、命のバトンを最終走者に渡すことよ。」

そうだ。
私の役割を見失っていた。
次の治療につなげるためには点滴経路を確保することが最優先。
治療をするために点滴をするんじゃない。
次の治療の役に立つために点滴をするんだ。

「少量であれば問題ありません。まずは点滴ルートの確保を!!」
「……分かりました。」

切り替えろカタリナ。
次だ。胸痛であれば何を疑わないといけない?
何があれば治療の役に立つ?
私は胸に傷を負った人を散々見てきたはずだ。
胸痛の部位に存在する重要な臓器は……。

「心臓と……肺と……大血管?」
「は?」
「でも、身体の内部を切って診るなんてことはできないし。そういえば。体内の状態を透かしてみることができる機械が……。」

PHSに飛びつき、電話帳を開く。
片っ端からスクロールしてなんとかそれらしい名称の連絡先を見つける。
連絡先の名前は放射線受付。

「もしもし!? 救急外来に胸痛の患者さんがいて! レントゲンというものを撮りたいんですけど!!」
「え、いや。もちろんとれますけど……。ポータブルですか? こちらに来ますか?」
「ポータブルっていうのはなんですか!?」
「え? えーっと、なんて言いますか。小型のレントゲン撮影機を救急外来に持ち込むことですけど……。」
「それをお願いします!!」

よし。他にできることは無いか?
そういえば栗栖先生が十二誘導心電図を取れって言っていたような……。
そこまで思い至ったタイミングで安藤先生が救急外来に飛び込んできた。
乱雑に吹いたらしい髪の毛が頭上でウェーブをかいている。

「悪い。シャワー浴びてたからPHSの着信に気が付かなかった。急患か?」
「安藤先生!! 胸痛の患者さんで!! 冷汗もあって!!」

涙が出そうになる。
電話してから5分も経っていない。
飄々として掴みどころのない人物なのに。
今はそれをかなぐり捨てて急いで駆けつけてくれたのだ。

「はいはい落ち着いて。にしてもすごい肥満体型だな。糖尿病や高脂血症の既往は?」
「ありません。それで今はモニターと点滴ルートを確保してもらったところで……。」
「ん? 採血は?」
「あっ。」

しまった。どうせ針を刺すなら採血も同時に行うべきだった。
指示を出していなかった私のミスだ……。
急いで採血をしないと。
そこに鈴木さんが割り込んできた。

「先生。生化学と血算、凝固、トロポニンT、血糖値のスピッツで採血しておきました。心筋梗塞疑いでいいですよね?」
「ありがとう鈴木さん。ナイスフォロー。」
「えっ。」

先程までの不機嫌な態度はどこに言ったのか。にこやかに鈴木さんが話しかける。
採血をしてくれていた? 私の指示を待たずに?
つまり、安藤先生がこのタイミングで戻ってくると計算していい顔をするために自分の仕事はしていたってこと?

「あとは十二誘導心電図と胸部レントゲンだけど。」
「ポータブルレントゲンは呼びました。」
「……レントゲン呼んでくれてたの?」
「はい。思い出したんです。体の前半分が爆発魔法の直撃で吹き飛んだ方がいたんですが、その方の治療中に中が見えたんです。心臓とか肺とか、太い血管があったなって。残念ながらその方はなくなってしまったんですが、あのときは……。」
「ストップストップストップ!!」
「はい。」

安藤先生が叫びながら制止をかけてくる。
そうだ確かに今は無駄な話をしている場合じゃない。
今は患者さんの治療を優先しないと。

「ま、まぁ経緯はともかく、いい判断だったよ。あとは十二誘導心電図だね。モニターのII誘導がおかしい。多分これで診断がつくかな。そしたら循環器内科にコンサルトだをしないと。」

心なしか顔がひきつっているような…。
やはり疲れが溜まっているのだろう。悪いことをしてしまった。


「前壁梗塞。緊急カテだな。」
「ありがとうございます。よろしくお願いします。」

循環器内科医の大西先生が診断を下し治療の準備を開始した。
十二誘導心電図。心臓の電気信号を見て心臓に起きている病態を診断する装置。
簡便で侵襲もなく、循環器の疾患では必須となる検査。
これを正確に読み取るには専門的な知識が必要不可欠。安藤先生はこともなげにそれを読み取り循環器内科専門医である大西先生へと患者を託した。

「なぁ安藤。氷見が記憶喪失っていうのは本当の話なのか?」
「あーはい。今は同期でフォローしている感じです。」
「それもそうだが、お前も知っているだろ。ほら石橋先生。」
「うわ。それ完全に忘れてました。」
「面倒なことになるぞこれは。」
「……楽しそうっすね。」
「悪いな、めちゃめちゃ楽しいぞ。」

石橋先生? 氷見先生と交流があった先生なのだろうか。
もちろん私の記憶には全く無い人物だ。

「先生。ご家族の方到着されました。」
「診察室に入れておいてくれ。すぐに病状説明とカテーテルの同意書をとる。」
「はい。」

待合室に戻る途中で鈴木さんが私の事を一瞥する。
冷たい視線だ。安藤先生は大西先生と話し込んでいて気づいた様子は無い。
少しした後鈴木さんが戻り、かわりに循環器内科の先生が診察室へと向かった。

「ふー。お疲れ様。最初から大変な症例だったね。17時になったら栗栖と交代するからそしたらご飯でも食べに行こうか。」
「は、はい!」
「鈴木さんも行かない?」
「えー、ごめんなさい先生。私今日は用事があってー。また今度誘ってくださーい。」
「残念。」

そう言って鈴木さんは仕事に戻った。
多分相当仕事ができる人だ。先生方からの信頼も厚い。

……彼女が私を敵視するのも当然だ。
苦労してつくり上げた絵画の横に子供の落書きを飾られような屈辱感なんだろう。

「ところで石橋先生ってどなたなんですか?」
「あー石橋先生ねー。ものすっごく面倒な事だけどやっぱり聞きたいよね…。」
「はい。自分に関係のあることでしたらなおのこと。」
「えっとね……。君の彼氏。」

この世界に来て何度目だろうか。眼の前が真っ白になった

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