人と話が合わないことから考えたこと
地元の友人との集まりで話が合わない。
正月休み明け職場での同僚との会話で話が合わない。
最近立て続けに似たような経験をしました。
話が合わない、会話が続かないという経験は誰しもあると思います。
ここ数日同じような経験をしたのですが、それについて考え直すきっかけとなったことがありましたのでnoteに書いておこうと思います。
昔の友人と話が合わなくなったのは何故だろう
毎年必ず地元の友人と会うわけではないのですが、
ただ、今年は地元の友人数人と集まる機会がありました。
数年ぶりに会う人もいて、近況を報告しあったり昔話をしたりして過ごしていたのですが、話しているうちになんだか違和感を感じるようになったのです。
面白いと思う話がちがう
違和感の正体は、友人が話している話題についてです。
・最近かっこいいと思う車
・はまっているアニメ
・可愛いと思う芸能人 etc…
これらの話題は中学生の頃友人たちとよく話したものですが、今の私はほとんど興味がなくなっていたのです。
特にずっと地元に残り続けている友人たちは、これらの話題で楽しそうに話している様子でした。私に対しても色々と質問してくれるのでなんとか話についていくことはできましたが、私自身は話していてもあまり楽しいと思える話題ではありませんでした。
Voicyで流れてきたタイムリーな話題
私は普段Voicyをよく聞くのですが、そこでタイムリーな話題をも見つけました。
地方創生の分野で大変著名でいらっしゃる木下斉さんの、「親、親戚、地元の友人と話が噛み合わなくなるのは良いこと」という放送回です。
木下さん曰く、地元に残り続けいている友人と話が噛み合わなくなるのは当然であり、自分が外の世界でさまざまなことを経験して成長している証拠であるとのことでした。
確かに地元を離れて十数年、大学へ進学したり、就職を機に都会へ引っ越したりするなど、住む場所や付き合う人が変わるごとにさまざまな経験をしてきたように思います。
橘玲さんが著書「幸福の資本論」で、地元に残っているマイルドヤンキーには仲間という社会資本があると述べられていました。
私の友人たちは決してマイルドヤンキーではありませんが、やはり地元に残り続けているもの同士の仲間意識は強くあるように感じます。
そのような強い繋がりの中では同じ価値観を共有できることが仲間である条件ですので、同じような価値観を持つもの同士で同じような経験を積んできているのだろうと推察されます。
そのような状況では、話が合わなくなるのも当然でしょう。
職場の同僚と話が合わないのは何故だろう
正月休み明け初めての出勤。
「年末年始何してすごしましたか?」
という当たり障りのないことを聞いてみたところ、
「ゲーム実況者の年越し配信をみてました〜」
と言われました。
その手のものに全く知識のない私は困ってしまい、
「…へ〜そうなんですね〜。楽しそうですね〜…。」
としかいうことができませんでした。
そして同僚から私に年末年始の過ごし方を聞かれることもなく、会話は途切れてしまいました。
実はこの同僚との会話に困るのはこれが初めてではなく、
好きな音楽の話で声優さんのグループの話をされたり、旅行先で楽しかったことを聞くとアニメの聖地巡礼の話をされたりと全く知らない内容の話をされることが多々あるのです。私が同僚に嫌われている線を考えてくはないので、興味関心の違いが原因ということにしておきます。
現代には鉄板トークがないのか
価値観の多様化がいわれて久しいですが、これほどまでに実感することは今までにありませんでした。年末年始の過ごし方というある程度型のあるものでさえ、娯楽に溢れている現代では自分には全く想像のつかない過ごし方をしている方々がたくさんいるのでしょう。
そのような状況ではこれさえ話しておけば大丈夫といった鉄板のトークテーマは存在しないのかもしれません。
2つの出来事から考えたこと
いずれの出来事も価値観や興味関心の違いから話が噛み合わないということは共通していると思います。異なる点として考えられるのは、相手に興味があるかどうかという点です。
この点について以前読んだ本を思い出しました。
アラン・ピーズさんとバーバラ・ピーズさん共著の「他人とうまくやっていく」という本です。
本書では他人とうまくやっていく具体的な方法について書かれており、会話をうまく進める方法として聞き上手になろうという旨の記載があります。
相手の好きなことに興味を持つということ
相手の話を聞くときのポイントとして、相手の好きなことに興味を持つということがあります。今回の例では、最近かっこいいと思う車やはまっているアニメ、ゲーム実況などがそれにあたります。
人と話をするときには必ずしも自分の興味があることばかりではありません。自分の興味がないことについて会話を広げていくのは至難の業です。
そこで、自分が会話を広げるのではなく、相手に広げてもらうのです。相手が好きなことに対して質問を投げかけてあげることで、相手から話を広げてくれるでしょう。
まとめ
今回の例で地元の友人となんとか話が続いたのは、友人が私に興味を持って質問してくれたからです。
木下さんの話では、話が合わなくなるのは当然でむしろそれはいいことだとのことでしたが、たとえ話が合わなくなったとしても私に興味を持って話をしてくれる友人がいることが嬉しいと言う気持ちになりました。
自分が他人とは異なる経験をしていることを実感しつつ、身の回りの人が私と話をしたときに興味を持ってくれて嬉しいと思ってもらえるようにしたいものです。
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