見出し画像

見て見ぬふりをするのを辞めたい

見て見ぬ振りをするのを辞めたい。
ふと思ったのは一冊の本を読んだからです。

この「世界は贈与でできている」という本の主題は、贈与と交換の違いを明らかにしながら自分達が受けたものを次へと繋いでいくこととなっていますが、私が強く印象付けられたのはその中の一説についてご紹介します。

「無い」ことには気付くことができるが、「ある」ことには気づけない

逆説的なことに、現代に生きる僕らは、何かが「無い」ことには気付くことができますが、何かが「ある」ことには気づけません。

世界は贈与でできている|近内悠太

私たち自治体職員を取り巻く環境では、まさにこの「無い」ことばかりが問題とされ、「ある」ことについてはむしろ問題として捉えられない傾向にあります。

「無い」ことに対する問題

今日できると思っていた手続きができない、もらえると思っていた給付金がもらえない、突然保険料が上がるのは納得いかないので払えない…

「無い」ことに関する問題は、突如として自治体職員の前に降り掛かります。自治体の業務はインフラと同様生活に溶け込んでいるため、それができることが当たり前であると捉えられています。「ある」という意識がされないものが「無い」と言う状態になったときに、ある種の怒りを伴って担当者の前に現れるのです。


この「無い」ことに関する問題は、住民サービス利用者に対してのみ起こる問題ではなく、組織の内部でも頻発しているように思います。

前例がなく効果を見込めないのでできない、自分は主担当ではないので意見を言うことはできない

自治体職員として働いていると、必ずといっていいほど耳にする言葉です。
「無い」ことばかりに注目してやらない理由を探しています。
本来であれば先にある利益に基づいて議論すべきところ、目先の「無い」ことに意識がいってしまい、本来考えるべきことが全く議論されません。
それは以前にもnoteで書いたリーダーシップの欠如が要因だと思われますが、ではなぜリーダーシップが欠如しているのかと考えてみると問題は自治体職員を取り巻く組織だけにとどまるものでは無いと思われますので今回は省略します。

「ある」ことに対する議論ができない

「無い」ことは問題となり場合によってはすぐに対処がされるものですが、「ある」ことに対しては全くといっていいほど議論がされません。
なぜその業務があるのか、本当にやる必要があることなのかを理解せずに進んでいく仕事がたくさんあります。移動直後、引き継ぎも程々に迫り来る仕事になんとか対応し、慣れてきた頃にはそれらの業務に疑問を感じることも少なくなっています。そうしてまた次の担当者へ業務が引き継がれていくことになるのでしょう。

見て見ぬ振りをするのを辞めたい

一度始めてしまった事業、形骸化している報告書など、日常の業務で一度は疑問に思いつつもそのままにしている仕事はありませんか。
私はそのような仕事にでくわしたとき、ある種の諦めを持って見て見ぬ振りをしてとりあえず前例通りに仕事をすることがあります。なぜなら、既に「ある」業務をやめるためには膨大な調査に基づく根拠を求められるからです。前例に倣って始めたものは、やめるためにも前例が求められます。

日頃の業務をこなしていくのに精一杯の時、「ある」ものについて見直しをしていくことは容易ではありません。しかし、それに対して取り組むことでしか、本当の成果を得ることはできないのかもしれません。そしてそれができないからこそ、多くの問題は解決されないのでしょう。

「ある」ものも当時はきっと必要なものだったのでしょう。やめることが苦手な我々は、それらが時代にそぐわなくなっていたとしても大切にし過ぎてしまっているのかもしれません。そしてそれらは我々の前に小さな違和感として現れます。日頃の違和感を見逃さず、自分なりの成果指標を持って業務に取り組みたいものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?