【自分を振り返る01】

【01.友達は、いなくても生きていける】

妊娠初期の頃、自分の人生を振り返る瞬間がかなり多くあった。
(妊娠中期は引越しで忙しくてそれどころではなくなった)

その時、いつもつまづくのが女友達という存在だ。
学生時代、なぜか私含む「女3人」でつるむ場面がかなりあった。
3という数字は、モーニング娘。やAKBとは違い、Perfumeのようにギリギリ名前を覚えられるし、
トライアングルのように、欠点を補い合い調和し、個でいるよりも魅力を引き出せるように感じる。


実際、社会人になって先輩から最初に学んだのは
「企画は最低でも最高でも3つにまとめて得意先に提案しろ(バランスがいいから)」
だった。
(この糞みたいな教えで私はだいぶ病んだ。)
(そして、この考えが人間を腐らせていると思う。)

話を戻して。

3という数字は確かに魅力的なのだが、私はどうしても「女3人」でつるむといつの間にか蚊帳の外になってしまう。
気づけば知らないところで私以外の2人で遊んでいたり、プリクラを取っていたり、LINEグループができていたり。
そしてなぜか私以外の2人は今でもずっと仲が良い。


思い出すとキリがないのだが、一番辛かったのは中学生の時。
その日は3人でカラオケで遊んでいた。
門限の時間がきたので、インターホンの受話器を取りチェックをしようとしたら、その手を止められた。
そして突然2人が目の前でヒソヒソ話をして、

「ごめんね。」
「私たち、もう少し遊んでいくから、あなただけ先に帰っていいよ」

そう告げられた。

2人は申し訳なさそうなアクションを取ってたけど、私には分かった。
あ、もうここにいちゃいけないんだ。
今まで楽しいと思っていた自分がなんだか急に恥ずかしくて、いたたまれなくて。

だから
「え、約束と違くない?なんでギリギリに言うの?2人がまだ遊ぶなら私ももう少しいる」
なーんて言えず、立つ鳥跡を濁さないように、2人に迷惑をかけないように笑顔で別れた。
そして1人になり、自転車に乗りながら大号泣して帰った記憶がある。
(当時、転校したばかりで道もロクにわからず迷子になりかけたのもあいまってたと思う。)
(顔面グシャグシャの中学生が交番で道を聞いた時、お巡りさんはさぞ困っただろう・・・)


まったく同じシチュエーションではないが、そんなようなことが何回もあった。
気づかなければ幸せだったんだけど、その2人の脇が甘かったり、そんなことを匂わせてきて気づいてしまう。

なんでこんなことをするんだろう・・・という出口のない自問自答を繰り返し、自分で自分の傷をえぐり続けた。
声をあげて悲しい気持ちを伝えたり、抗議をしたり、なんでそんなことをしたのか聞いてみることができなかった。

なぜなら、100%自分のせいにしていたから。
様々な選択肢を想像せず、自分が欠陥品だからいけないのだと思い込んでいた。

そして、似た経験が重なっていくうちに処世術として
「私なんかと仲良くしてくれてありがとう」と感謝をきちんと伝え、
相手が相談してくれた時には相手が喜びそうなことを嘘でも言い(あの子がこう言ってたよ、とよくでっち上げを言ってた)
とにかくご機嫌伺いをしていた。
大切な相手が少しでも笑って喜んで欲しかったから。

だけど、離れていくもんは離れていく。
一生懸命出した処世術は・・・・残念ながら処世術になっていなかったと思う。笑

20代になってからは悲しいと同時に私はこんなにしたのに。という気持ちすら芽生えていた。
しょうがないものはしょうがないのに、女の友達という存在にしがみついていた気がする。

そこまでしていたのは、女友達がいないと自分の欠陥品感がさらに増していく感じがしたから。
気づけば
女友達いない=性格が悪い/人間としてできていない
という基準を勝手に作っていたことに気づいた。


でも、もうそんなこと言わなくていいよ。大丈夫。
と私に言ってあげたい。


だって、普通に今までの出来事を他人の話として聞いていたら、私そいつと仲良くしてないもん。

「本当の友達だったら〜・・・」という台詞を耳にするけど、そんな定義ないと思う。
本当のことも、友達のことも、そんなものはみんな違うんだからあってないようなもんだと思う。


でも、私がどう思うのか、は分かる。


私は人よりも少々1対1の付き合いが重いのだと思う。
向き合いすぎるが故、どうしても天秤がアンバランスになりがちだと、振り返って感じた。

そして性格上、受動的ではなく能動的なタイプ。
誰かになにかされる経験が乏しいので、いざそうなった時にどのように振る舞えばいいのかわからなく、
なにかしてもらうと同等以上のことをすぐになにか返さなくては!というわけのわからないプレッシャーになるので
受け身であることに憧れと羨望はあるものの、できない性格なのだなと思った。

だから、最近よく目にする「あざとい●●」は、すごいなと思う。
相手に自分のやりたいことをさせるよう仕向ける、という高度テクニックが私と真逆の位置にあるので
真似ようと思ってもできないんだとこれを書いててすっと腑に落ちた。

ずっと、なんであの時私はこういうことをしたのに、私の時にはこんなことしてくれないんだろう。
(誕生日とか、ベビーシャワーとか、サプライズとか。)
私を友達と思っていない・私に価値がないのかな・・・と思ってたけど
たまたま今までの環境の周りの人にそう言った思考がなかっただけだったと気づいた。

私はこういうことをやって欲しいという動機がきっかけで色んな企画をしてるから、
私にも同じことをしてね、という期待はもう捨てようと思う。
(そこは私が烏滸がましかったなと思う。)
考え方を変えて、こんな楽しい企画を私がやったんだ!とこれからは思うようにしたいな。


あー。
子供の頃の自分に会って抱きしめてあげたいな。
大丈夫だよ、間違ってないよって。

最後は裏切られたり、傷つく言葉を言われるかもしれないけど、融通がきかなくて嫌いとか苦手とか
面と向かって言われても、あなたのそういうまっすぐなところ、好きだよって。

世の中は、適当とちょうどいい距離感が重宝されるからグレーの種類を求められる。
私は31年も生きてきて、白か黒か、ほんのちょっと毛が生えたグレーしか持ち合わせられなくて
そんなうまく生きていけてはいないけど、意外と味ある人間になってるはずだよって言ってあげたい。
私のこと、好きって言ってくれる人もいるんだって教えてあげたい。


未だに自分が好きになれず嫌いなところばっかりだけど
いちばん友達になりたいのは、あなたみたいな人だよって今なら言えるなって思う。


トライアングルはいくつも形の種類があってそれはそれで周りから見たら美しいのかもしれないけど、
ひとつの点は不恰好でも可能性を秘めていて面白いよって言いたい。
(2020.05.19)

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