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今さらながら、スローライフ

高校生くらいから最近まで、予定を埋め尽くして全力疾走を続けてきた。最短距離を、全力疾走。隙間時間はあらゆる情報を集めて頭に詰め込み、映画も本も漫画もドラマも、大量に丸呑みする。時間に急き立てられながら、必死で駆け抜けてきた。

しかし最近、少し考え方が変わった。昨年健康面のトラブルがあってしっかり休んでみたところ、中年以降も人生が続きそうな気がしてきたのだ。漠然と、太く短く生きて、せいぜい40くらいで死ぬ気でいた。50代60代まで自分が生きるイメージが持てていなかったけど、思い切って休んでみると、あわてて死に急ぐこともない気がしてきた。意外と人生が長引きそうだ。

そうなってくると、いらないものが大量にあるよりも、本当に大切なものがほんの少しあることの方が豊かなのではないか?
そういう考え方が腹に落ちて、身体の隅々に行き渡った気がする。

ヨガのポーズにおびえずに、ひと呼吸を丁寧に。

まず、ヨガの練習の仕方が変わった。わたしが日課にしているアシュタンガヨガのシークエンスは、毎日練習をする前提で組み立てられている。強度の強いポーズが立て続けにあって初心者は面食らうけど、毎日やっていればなれるものだ。
しかし週末しか練習できない場合、一週間ぶりにマットに立つと軽くパニックになることもある。ポーズの数が途方もなく多く感じて、体力が持つか心配をしてしまう。時には、気持ちだけ初心者の時にタイムスリップしてしまって、自分がこれからする中級者向けのポーズを想像して、とても自分にできるはずがない、とひるんでしまう。

6月にシンガポールのスタジオで練習して、改めて「じっくり呼吸することだけを考えて、一つ一つ丁寧にやればいい」ということを身をもって学んだ。呼吸だけ丁寧にやって、その時にやるべきポーズを一つずつやればいい。時間を気にしたり周りを気にしたり先のポーズを気にしていても仕方ない。今の呼吸、今のポーズだけを真摯にやればいい。

そうやって練習していくと、不思議と疲れないし、体も痛くならない。そして、「かかとをつかむ」「顔を脚につける」みたいなわかりやすい形を求めるのではなく、呼吸が深まるポーズのとり方で、決して体を縮めない。バンダ(体の中にいくつかある“締めておく”べきポイント)以外は、ゆるめて伸ばす。やるべきことはこれだけだった。シンプルに、丁寧に練習するのが良いみたいだ。

とりあえずJ.S.バッハだけ弾ければよい。

幼いころからピアノとフルートをやっていたから、楽器は続けていきたい。とはいっても、毎日怒涛の忙しさなので、中学生のころのように全身全霊の練習はできない。だけど、時々スタジオに行って音を出すとやっぱりよい。サウナより整う感じがした。

子どもの時のようにどんどん難しい曲に挑戦する必要もないし、レッスンを受けているわけではないからうまくなる必要もない。だから、ピアノでは『バッハの平均律クラヴィーア曲集 第1巻1番Cメジャー(正式名称はよくわからない)』だけをひたすら弾く。

フルートの『無伴奏フルートのためのパルティータ』も昔は全部吹けたけど、今は音を出すので精一杯。いずれ4楽章全部通しで吹けるくらいに戻したいけど、まあ、おいおい。

速読・多読を諦めて、ゆっくり、じっくり読書をする

韓国の本屋で詩集を買ったので、Kindleの日本語版と見比べながらじっくり読んでみることにした。詩はいい。育児していると、本を広げて文字を目で追うための時間の確保が難しい。一方で、「娘がお風呂に入る気になるのを待つ」などの、謎の待ち時間はたくさんある。詩は文章量が少なく、その少ない言葉を頭の中で咀嚼する時間が大切だ。一か月で一編の詩を読む、みたいなことをしていくのがちょうどよさそう。

ちょうど、平野啓一郎先生のスロー・リーディングの本がKindleUnlimitedにあることに気づいたので、これも並行して読み始めた。実践してみよう。

人と比べず、自分のペースで

わたしの先祖は、大分県の人里離れた山奥の、どこまで行っても森しかないところに何代も住んできた。もしくは、福岡の平地の田園風景の中にいた。父はよく都会でサラリーマンを定年までできたな、と思うくらいおっとりしている。私も本来、そんなにあくせく急ぐタイプではない。公園のベンチに座って木が揺れるのを見ていたらあっという間に1時間経つし、海をただ観てるだけで1日過ごせる。

全速力で最短距離で大量の情報を飲み込むやり方は、そもそも難しいかもしれない。だけど、いろんなことをペースダウンしても、スローにやってみても、すぐに没落しないし、むしろ豊かに生きられるかもしれない。

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