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「さて、小説でも書いてみるか。」10年ごしの宿題に挑戦してみる。-5-

高校生の時は、当然のように創作をしていた。当時は感性むき出しで、いくらでもアイディアが浮かんだ。自分が何をするべきかわかっていて、迷うこともなかった。一方で他者との調和の取り方がよくわかっていなかったので、仲間と一緒に創作すること自体に難しさも感じ、苦しくてだんだん遠ざかってしまった。

社会人生活も10年を超え、社会との調和の作り方もだいぶ板についてきた。だけど誰とも分かち合えない思いはどうしても募っていき、結婚しても出産しても埋まらない穴のようなものがあった。すると、また創作に挑戦したくなった。しかし、感性はいつしか分厚い皮にぐるぐるまきになって、どこかに追いやられてしまった。まずはそれを探し出し、掘り起こさないといけない。なにより、いい歳をして初心者のよちよち歩きから新しいことに挑戦し、恥をかくことへのハードルもある。

そんなハードルを超えて、昨年からやっと「創りたい」と口に出せるようになって、少しずつ変化が生まれてきた。

今までnoteに書いたようなことの他に、こんなことをした。

1.創作している人たちの中にいるようにする

2.創作のハードルを下げる

まずは、創作している人たちに囲まれる環境を作り、「創作してない方がおかしい」と思えるような状況に身を置いた。ちょうど、コルクラボでも小説部が立ち上がって作業会をしてくれている仲間がいたり、コルクの佐渡島さんのYouTubeも創作者向けの発信に舵を切っている(ものすごく参考になる)。コルクラボマンガ専科も始まった。作っている人たちばかりの中にいると、最初は人と比べてしまって落ち込むこともあった。だけど、そういう環境に身を置いていることだけで、わたしにとっては大きな一歩なんだ。気にず、淡々と、ただその場に身を置いて、自分にできることを積み上げていくだけだ。

もう一つは、創作のハードルを下げること。わたしはそもそも育児中の正社員で、勤務先は労働集約型モデルのWEBベンチャー。つまり、時間がない。

それでも、できるものを創る必要がある。だから、短時間で、スモールステップで、毎日の習慣に組み込めるものを取り入れた。

一つは、”モーニングページ”を毎日のヨガの練習の後にするよう、習慣に組み込んだ。モーニングページについては『ずっとやりたかったことをやりなさい』という本にあった手法で、この本の通りに一度やったあとも「モーニングページ」と「アーティストデート」は意識して続けていて、特にモーニングページは初めてからもうすぐ1年が経とうとしている。

朝起きてから、ノートに向かって30分で3ページ埋める。脳の排水という位置付けで、なんでもいいからとにかく書く。なにも浮かばなければ「書くことがない」とだけ書き連ねてもいい。これをすることで、頭でコントロールせずに、本当に思っていることを文章にする力がついてきたように感じている。たいていの場合は、何か書こうとすると「こんなこと考えちゃいけない」「変な人だと思われるから人に言ってはいけないものだ」と無意識に判断して抑えてしまう。そのコントロールを外して、ありのままの思いを文字に閉じ込めていく。一年近く続けてみて、徐々にではあるけれど、小手先で書いてしまわずに文章に思いをのせられるようになってきた。

もう一つは、「名作の短編作品を下敷きにして創作してみる」ということ。文豪たちの短編作品は、時代を超えて愛される理由がある。しかも、著作権の切れているものは青空文庫で無料公開されているし、なくても図書館でいくらでも借りられる。それらの作品を要素分解して、そこにのせたい感情を設定する。そうしたら後は、元の作品の流れに沿って描きたい感情を写しとっていくだけだ。

その手法で今年3本の短編を書いてみて、これからは別のやり方での短編作品リメイクに取り組もうとしている。

平日の朝の隙間時間30分と、土日のどこかで60分ほどカフェで執筆をすれば、早ければ2週間くらいで書けてしまうものだ。それを続けてどうなるのかわからずに始めた。やってみると、元にする短編作品のことも深く読めるし、文章を書くトレーニングにもなるし、いいことづくめだ。

何より、自分が小説を書きたい理由が明確になってきた。これは、逃げられない。逃げていても、どうせ生きているうちにいつかは書こうとしなければいけなくなる。そういう類のものだ。始めるのなら、少しでも早い方が良いものだと納得がいって、腹を括って書くしかない、と考えるに至った。

創作することが、「憧れ」から「向き合うべき現実」になった感じがしている。

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