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モーニングnote:「推し」と「慈悲の瞑想」

「推し」がいる人をうらやましいと思いながら、なかなか縁がなかった。

カルチャー全般が好きで、映画やアニメ、マンガにも触れることが多いし、劇場で演劇を観ることもある。音楽も、ライブに通ったりクラブで夜を明かすような日々を送っていた。だけど、何か一つのことに深くハマった記憶があまりない。飽きっぽくて移り気だし、いつも自分のことで精一杯になっていたので、なかなか「推す」という感覚になれなかった。

しかし、一年以上続くこの自粛期間の激動の間に、突然それはやってきた。うわさに聞いていた「推す」というのはこれか…。「尊い」というのはこういうことか…。という発見の日々に戸惑いながらも、毎日が輝いている。

推しにのめりこむことと恋愛感情が近い人もいるだろうし、狂信的になる依存型の人もいると思う。

私の場合は、どうやら「感謝型」である。

もし万が一、推しに何か一言話せるとしたら、とにかく感謝を伝えたい。どこまでも、「ありがとう」が止まらない。

推しの活動や存在自体にはもちろん、産み育て、活動に反対しながらも今は応援しているご両親、推しを見出し育ててくれたプロデューサーや事務所の方々、活動を支える裏方の方々、推しを取り上げてくれるメディアの皆様、全方位に対して、無限に感謝が湧き出て止まらない。ただ一つ望むのは、推しが無病息災で幸せに日々を過ごし、好きなように満足のいく作品を作っていくことである。それさえ実現されていたら、心から満足だ。

この感覚は知っているぞ、と記憶をたどったら、ある経験とつながった。「慈悲の瞑想」だ。

慈悲の瞑想とは、仏教の瞑想法の一つで「生きとし生けるものすべてが幸せであるように」と念じるものです。

『慈悲の瞑想』の言葉
私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私は幸せでありますように(3回)

私の親しい生命が幸せでありますように
私の親しい生命の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい生命の願いごとが叶えられますように
私の親しい生命に悟りの光が現れますように
私の親しい生命が幸せでありますように(3回)

生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものに悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

私の嫌いな生命が幸せでありますように
私の嫌いな生命の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな生命の願いごとが叶えられますように
私の嫌いな生命に悟りの光が現れますように

私を嫌っている生命が幸せでありますように
私を嫌っている生命の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている生命の願いごとが叶えられますように
私を嫌っている生命に悟りの光が現れますように

生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

(日本テーラワーダ仏教協会 Webサイトより)

この慈悲の瞑想を習って、一週間ほど毎日繰り返していたことがある。当時は仕事も人間関係もめちゃくちゃな状態だったけど、毎日繰り返していくとだんだんと心が穏やかになってきて、胸の真ん中あたりから温かさが広がってくるような感覚になった。身体もうまくリラックスできて、力みが取れる感じがした。

この時の体感と、推しがいることによる体感が同じである。

なんということでしょう。推しが存在するということで、瞑想効果が得られるのかもしれない。大発見だ。

そんなのバカげている?狂ってるって?

バカになれる、狂える、そのことにも感謝している。

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