モーニングnote:もうすぐ35歳。メイクが楽しい。
私は一重まぶただ。
そのことで心無い言葉もたくさんかけられてきたし、今でも一重の人をバカにする話題でドッとその場が笑いに包まれたあとで、私の顔をみて、あ、と気まずそうに顔を伏せる人は後を絶たない。大丈夫。もう35年もこの顔だから、今さら何とも思わない。
それに、誰が何と言おうと私は自分の顔が好きだ。35年かかって、ようやくそう言えるようになってきた。
10代のころは、なかなかそうは思えなかった。
高校生になって、メイクをして何とかしようと思っても、ファッション誌には当然のように「二重幅にアイシャドウを…」と書いてあるし、「一重さんのメイク♪」と銘打っているメイク方法のモデルさんはみんなきれいな奥二重だった。出版社は、一重の人間を紙媒体に載せたらいけない呪いにでもかかっているのだろうか。一重はタブーであり、醜さの象徴のように扱われていた。
今は、YouTubeを検索すると一重メイクもたくさんあるし、一重のかわいい女の子もたくさんいて心強い。だけど、それでもまだまだ目の上の線の有無で、そんなことで、重く暗くふさいでいる女の子たちもいるんだろうな、と想像すると鼻の奥がツンとする。
20代までの独特の苦しさは何だったのだろうか。誰かの決めた狭く小さい“美”の基準に合っていないと、「痩せろ」「整形しろ」「努力が足りない」と責められて狭い小さい“美”の型に合うように矯正して押し込めようとする力が働いている。
誰がこんな酷いことを仕組んでいるのだ、と怒っていたこともあったけど、何のことはない。誰も、何も決めていないだけだ。自分が怒られないように、食いっぱくれないように、誰かを追い込んで叩いてお金をひねり出そうとしているだけであって、多くの人はあなたが美しいかどうかなんて、たいして興味がないのだ。
世間の言う“美”というものと、幸福とは何の関係もないじゃないか、ということに気づいてからは、しばらくメイクもしなかった。心身が健康で心地よく、幸せであれば毎日が楽しく、私がメイクをしているかどうかなんて、特に誰も気にも留めなかった。とても自由。顔をこすったっていいし、雨が降っても濡れても気にならない。いつ寝落ちしたって、肌が荒れもしない。
しかしここにきて、メイクが、というより、セルフケアまで含めたコスメ全般のことを調べて、試すのが楽しくなってきた。オーガニックコスメのブランドが続々と生まれて敏感肌の私にも選択肢が増え、メイクもセルフケアも、既存の基準に自分を押し込める矯正ではなくて、自分らしく、自分が自分を好きになるために、自由に行っていいのだ、と思えるととても楽しい。
最近、仕事でご一緒しているモデルさんに頭皮マッサージブラシを教えてもらって、今度買ってみるつもりだ。入浴中にやると気持ちいいらしい。
コスメは何かの型に自分を押し込める矯正器具ではなく、美のヒエラルキーの頂点に上るためのツールでもなく、自分らしく伸び伸びと楽しむためのものだ。だから、年齢も性別も関係なく、誰もが楽しめるようにもっともっと新しいコスメが生まれてほしい。
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昨年末ごろから、毎朝のヨガの練習のあとに、“モーニングページ”というのを日課に加えました。A4ノートに30分間、とにかく文字を書いて3ページ埋める、というもの。その通りできるときもあれば、数行で終わってしまうこともありますが、めげずに続けています。毎朝書き連ねる言葉の中から、noteによさそうだな、というものを再編集して書いていこうと思います。
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