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『13月の女の子』を観てきた

ゆっきーのバースデーの配信動画を見ていたら、『13月の女の子』という映画に出たと言い出して驚いた。全然知らなかった。
調べてみたら、短い期間ながら丁度やっていた上、丁度休みで暇していたので観てきた。せっかくの偶然をものにしていくスタイル。

200929_13月の女の子02

自分の記憶では単館系というのか、今はミニシアターというのか、まるでわからないが、とりあえずこういうところに来たのは実に久しぶりだ。映画など年に1、2回しか観ないし、しかも109シネマズとか、そういう大きなところで有名な作品しか観ないのでとても新鮮。
さてさてどんなものだろうとワクワクして観たが、面白かった。
ゆっきーが圧倒的にゆっきーだった。出演者がゆっきー以外誰一人わからなかったのだが、これはきっといいことなのだと思う。
つい先日、『弱虫ペダル』の実写映画を観てきたのだが、橋本環奈が圧倒的に橋本環奈だった。他の出演者は誰一人わからなかったので、ちゃんとキャラとして見ることができた。俳優を知っていると、どうしても役よりもその俳優自身に見えてしまう。
もちろんこれは、自分の映画を観る能力が低いせいかもしれない。ただ、前に『ひめゆり』というミュージカルを観た時、よく知っている黒沢ともよを、ちゃんと「キミ」という女の子として観ることができたので、もしかしたら俳優の演技の方に原因があるのかもしれない。

映画を観終えた後、元々存在したはずの浮間莉音という女の子の中身──魂とでも呼ぶべきか、彼女自身はどこへ行ってしまったのだろうと考えた。
一穂が元々いた世界──映画が始まった時の最初の世界では、浮間莉音の肉体は巫女と引き換えに現れた。突如湧いて出たのもおかしな話だが、まあでも他に誰も認知していなかったので納得できる。
だが、一穂が飛んだ先の荒廃した世界では、あの前日まで巫女も他の女の子たちも、浮間莉音と過ごしていた。話もしていた。思い出もあったはずだ。
その彼女は、一体どこへ行ってしまったのか。
気に入ったのでパンフレットを買ったのだが、その『Director's Statement』の中に「浮間莉音という不思議な入れ物」という文字があった。
なるほど。あれは入れ物なのだと、なんだかとても腑に落ちた。きっと俳優さんも、前半は完全に巫女として、後半は完全に一穂として、そして最後はまた完全に巫女として振る舞ったのだろう。あるいは俳優さんは、少しでも浮間莉音という人間の個性を意識したのだろうか。
一穂の世界で浮間莉音という存在が突然現れたように、きっと荒廃した世界でも浮間莉音という存在は突然現れて、何故かごく自然に溶け込んでいたのだろう。そんな気がする。

こういう単館系の映画を観るのは初めてだ。なかなかいい刺激を受けた。
もちろん、ちょい役とはいえ、ゆっきーが出演していたから観てきたというのはある。ゆっきーが出ていなければ観ていない。そういうきっかけを大事にしたい。
浮間莉音がとても可愛かった。例えば次はこの俳優さんの出ている他の作品を観てみるとか、きっかけを繋いでいけたらと思う。

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