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にわにはごわにわとりがいる

納豆ご飯に卵をかけるのが好きだ。
卵を食べる時、私は思わず
ありがとうと言ってしまう。
我が家の卵は、庭で飼っている
5羽の烏骨鶏のぴっぴ達が産んでいる卵なのだ

烏骨鶏が我が家にやってきたのは
2年前の6月の事だ。
コロナ禍が世の中を変え始め
子供の学校も休校になった頃
ぴっぴは産まれた。

春先に養鶏場から予約した烏骨鶏の雛が孵化した連絡をもらい、お迎えに行ってから私達家族はその可愛さに夢中になった。
Instagramで同じように鶏を飼育している人の情報を参考に、大切に飼育を始めた。
そして、バタリーゲージという衝撃的な現実に出会ったのである。
今まで買っていたスーパーの卵は、価格で選ぶことが多かった。
バタリーゲージという飼育方法は
約90パーセントの日本の養鶏場で行われている
飼育様式の事だ。
雄雌の鑑別をして、雄のひよこはシュレッダーなどで
処分される。
雌のひよこは、ぎゅうぎゅうの木箱で大きくしてから
狭い金網で、身動きも取れないよう状況で、ただ、卵を産みつづけるのだという。
実は、私の祖父は私が生まれる前に
養鶏場を営んでいた。祖父は15歳で満州に戦争へ行き
肺炎になって帰国してからは傷痍軍人として
その後の人生を生きていた。
養鶏を営んでいた話は幼い頃母親からよく聞いた。
蛇が卵を食べにくる話や、お手伝いで母が鶏のくちばしを切っていた話を。
母親は鶏のくちばしには神経がないから痛くないと、祖父から聞いていたと言っていたが
実際には鶏のくちばしは、顎の骨の一部らしく
くちばしの切断は痛みを伴い、その痛みは慢性的に続くのではとも言われているらしい。
卵を産まなくなった鶏に印をつけていって、もう産まないと判断するとキュッと首を絞めその祖父の姿が
怖かったと、その時私にもその背中が見えた気がして25年も前に亡くなった祖父を思った。

私は祖父の営む養鶏場を見たことがない。
祖父は私にその話を一度もしなかった。
戦争の話を聞いた時
戦争の話はしたくない
もう忘れてしまったと小さく言った。
修学旅行に行けなかったことが悲しかったと
ただそれだけだと言った祖父の横顔を何十年経った今でも私は忘れることが出来ない。
そんな祖父が語らなかった養鶏は、もしかして、鶏にとっても、祖父にとっても辛いものだったのかもしれない。
もういない祖父の分までふわふわの烏骨鶏のぴっぴを
なでながら
バタリーゲージの卵を買わないことが、優しい未来につながると信じている。


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