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親のエゴ

コルクの佐渡島さんのnote。不登校の息子さんが中学受験をしたいと言い出したのを応援しつつも

その選択が普通すぎて、面白くないと感じているのも事実だ。

と書いていた。わかるなぁと思った。

受験勉強を応援するだけは面白くない。それで悩んでいたら、面白い話が最近、よく僕が話題にしている『雲孫財団』で持ち上がった。

ということで、糸島にツリーハウスを建てるプロジェクトに息子さんを誘導したという。

そのほうが、中学受験よりもずっと息子をたくましくしてくれる気がする。
今のところ、息子はやってみたいと乗り気だ。

我が家は、3人とも中学受験したが、同じように「私が」「つまらない」から九州の山奥の面白い知人の所への送り込みを考えていたことがある。その方が「子どものため」であるような気がしていた。

本当は、敷かれたレールに沿って学校へ行くのも、違う道を行くのもどちらでもいい。子どもの意志を尊重するといっても、環境や限られたリソースによって、親は必ずどこかに子どもを誘導している。意識的にせよ、無意識にせよ、せざるを得ない。

どこに誘導するにしてもそこには親のエゴがあるのだな、とあらためて。親のエゴがあったらいけない、ということではない。子どものあらゆる選択には、程度の差はあれ親のエゴが付き纏っている。それを親も子も知って、断ち切れる力が満ちたら断ち切れば良いのだと思う。

もう一つ、佐渡島さんのnoteを拝読して

中高生を含む若者を苦しめている

普通じゃ「つまらない」からもっと普通じゃない何かをしなくてはという呪縛

も親世代のかけている呪いの一つなのだなと感じた。「普通じゃない」ことをする為に普通以上のリソースが必要なのに入試に課外活動を加点する仕組みを作ったのも我々親世代だ。

何にもしないのは「つまらない」から何か「面白いこと」しようよ、しなよ、、

私もその呪い、、かけてるんじゃないかな。

逃れられない親のエゴ。私のエゴ。

真夏の怪談。



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