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障がいや病を得たら #人生に効く昔話の処方箋

障がいや病を先天的に、後天的に得る。

或いは、障がいや病を得た人と共にある。

どちらも無縁のまま生きる人は、殆どいないだろう。それは今も昔も同じ。

昔話「手なし娘」では

継母に両手を切られて追い出された娘が、山で猟師の男に助けられて妻となり、子をなす。

出稼ぎに行った夫への手紙を継母が「鬼のような子が生まれた」と書き換え、夫からの「鬼のような子でも俺の子だ、心配するな」という返信を「鬼の子を生んだ奴は出て行け」と書き換えたので娘は家を出たが、途中、背負った子が落ちそうになり咄嗟に手を出したら一瞬で手が元通りになり、夫とも再会できた、めでたしというお話。

重複障がいのお子さんがいらっしゃる、はなまる学習会代表の高濱正伸さん

誰かと組み合わさって発揮するパートナー力。これが障がいの子の持つ大きな実力だと思っています。自分自身は何も化学変化しないけれども相手を活性化する触媒とも似ていますね

とお話されている。

長年、植物人間状態だった祖母2人の存在について子どもの頃から考え続けてきた私の気持ちにも非常に近い。

山奥の独り者の猟師も手なし娘と出会い、働き者となり、「鬼のような子でも俺の子」という頼もしい言葉を送る。凸凹のパートナー力の発揮される世界がここにも見える。

登場人物が皆、孤立的に存在し、他のものと常に一対一で出会い、凸凹がかっちり組み合わさる、昔話独特の語り口は、そんな世界を表しているようにも思う。

自分が何か出来ない状況になったとしても

そこには周囲の力を引き出す力があるし、

身近な誰かが何か出来ない状況でも

それが自分の力を引き出している。

個人の時代という人もいるけれど

実は世界中が簡単につながる今と未来は

昔話的に、色んな力を個人で完結させずに皆で補い合って化学反応を起こしながら社会全体として、良くなって行ける、行こうとする時代なんじゃないかな。

自分1人の能力を磨き上げることが価値で、勝ちの時代は、多分今までも本当は存在しておらず、これからも来ない。

私たちが生きるこの物語の世界に

目を凝らしたら

そんな風に見えた。




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