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曖昧さへの耐性

私は「テキトーにやって」「いい感じでよろしく」と頼まれると、嬉しくて頭と心がクルクル回り体が動く。

一方、息子(高1)やスタッフのひとりは、「いい感じで」と言われたら固まる。細かい手順や指示で安心して手が動き、クオリティの高い仕事をするのだ。

長い間、その違いに違和感や不満を持っていたけれど、それぞれ違うタイプなのだと腑落ちしてからは適材適所を意識している。どちらもあるからよい。

曖昧であること、答えのない気持ち悪さも含めて面白がり、興味津々近付いちゃう自分のようなタイプの人間ばかりだったら、人類は全滅しちゃうもんね。

目に留まったツイートに刺激を受けて、あらためて自分や周りを「曖昧さへの耐性」という軸で見なおしている。

我が家の3きょうだいを見ただけでも「曖昧さへの耐性」、全然違う。

先行き不透明で予測不能なVUCAの時代、と言われる今こそ、曖昧さへの耐性別に果たす役割が明確にあるような気がしている。


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