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きょうだいじ、いちだいじ、みんなだいじ

学生時代、知的発達の遅れがある自閉症の女の子の遊び相手のボランティアをしたことがある。

目的は、女の子の妹にお母さんとの時間を作ることだった。力の加減が出来ず他害してしまう事の申し送り漏れもあり無防備だった私。初日に怪我をして1日でそのボランティアを終えた。

お母さんの腕にしがみつき、こちらをじっと見ていた小さな妹さんの暗い目を今も覚えている。

私も3人を育てる中で、誰か一人が病気や入院したり、学校トラブルに巻き込まれると時間や労力、意識を一人に注ぎ、他のきょうだいを後回しにしてきた。

後回しにした子に、物理的・精神的に皺寄せが行き、良くない影響が出るのを感じても手が回らない。

我が家は、近くに私の両親がいて随分助けてもらい、かろうじて生き延びたけれど、近くに頼れる人がない場合に助けとなるコミュニティが必要だ、と都度感じてきた。

一人で誰かの大変さを支えるのは難しいから、みんなで少しずつ分け合って支える、支え合う仕組み。

身内がなく一人で配偶者介護する人を支える繋がり作りをする友人の話を聞きながら、病気や障害ある兄弟を持つきょうだい児ケアもゆるい繋がりの中でやれるかもと思ったけどどうだろうね。

いちだいじの子も

きょうだいじも

みんなだいじ。






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